TEACCHかABAか

(2001.07.16記)

 

ネットをさまよっていると、自閉症の療育方法には「TEACCH」と「ABA」いうモノがあるらしいという事がわかってきました。早速本屋に行って本を探してみました。
TEACCHの本はすぐ見つかりました。ちょっと立ち読み(専門書は高いのだ!)してみて、実際の方法などが書かれている箇所を読んだのですが、何故だかビンとこない。

ABAの本は見つけられませんでした。結局本は買わずに帰ってしまいました。

ネットで調べてみてもTEACCHは全く理解がてきませんでした。だからこの頃「息子は自閉症じゃないのかも?」と思いはじめてきていたくらいなのです。でもABAのほうも調べてみると「強制する事」がとても多いような印象を受け「強制される事が大嫌いな息子には向かない」とやはり思ってしまいました。

そんなある日、療育センターで心理の先生と話していたら
「この子は行動療法向きなんじゃないかな」と言われました。
私はネットで知識はもっていたので「ああ、パプロフの犬みたいなヤツね」と言ったら
「いや、ネズミの迷路の実験だよー」・・・この先生、公的な療育センターの先生なのだけど、平気でこうゆう事を言うのでお母さん方からは評判が悪いらしい。
でも私はとっても話しやすいし、息子も何故かこの先生が好きだったりする。

それを言われてから、ネットでもう少し詳しく調べてみると「行動療法」というのと「応用行動分析(ABA)」というのがあるらしいのがわかった。
このふたつは少々違うのようなのだが、それについては私は議論する程の情報も持ち合わせていないので聞かないで下さい。ごめんなさい、学問については全く無知です。

でもとにかくどちらも「○○したら××になる」という単純明快な図式で、○○のところにやってほしい事、××のところに、ごほうびになるモノ(これを「強化」と呼びます)」を入れます。
強制するわけではなく、ご褒美(強化)をうまく使って、『自分の意志で望ましい行動を獲得した』という形を作り出すわけです。
「なるほど~、これは息子に向いている」と即座に思ったのです。

息子は極めて論理的な思考をします。
「おもちゃの片づけなさい」と言ってもしないけど、私がごはんの支度をしていると自主的に片づけてくれます。しかもテーブルにお皿があれは、ちゃんと持ってきてくれます。でも食べおわったお皿は、持ってきてはくれません。
何故なら息子にとっては、「食べる」ことが目的だったので、「食べたあとのお皿を下げる必要」は「彼にとっては」ないんです。

こういった思考の持ち主には「この問題ができたら、このお菓子あげるよ」というのが大変効果的なんだと思います。
「目に見えるごほうび」はとてもわかりやすく「モノを覚えようとする姿勢」をABAの手法で覚えたといってもいいと思います。現在は食べ物のように即物的なご褒美(一次強化)を使った療育はしていません。母の体調が悪いのも理由のひとつですが
最近の息子は、とても聞き取りがよくなってきているので一次強化を使用しなくても指示が入るようになってるからです。要は「人が自分に対して『何かを要求している』」という事を理解し、それに対して自分は応えようとしている状態です。
逆に言えば息子にはその事すらわからなかったのです。
私はこの時期にABAのアプローチをして、本当に良かったと思っています。
そのまま放っておいたら「人が自分に何かを要求している事」に気づく事が
とても遅くなっていたかも知れません。もしかすると一生気づかないままだっかも。

さてそれでは「TEACCH」は本当に息子に向いていなかったのか?
実は私も最近ちびくまママさんに教えてもらって「目からうろこ」だったのですが
「TEACCHは療育『方法』ではなく『理念』だ」という言葉。
TEACCHは「個々の障害の特徴に合わせて、彼らが生活しやすいように支援するもの」であって、単なる「絵カードを使用する療育方法」などでは絶対にないという事です。(日本の療育センターではそうゆう風に思っている人がたくさんいると思います) 
それを見たときに初めてわかっのです。本を見ても全然ピンとこなかった理由が。
実例集に出ているのは息子と全く違うタイプの自閉症児ばかりだったため、その「方法」をそのままあてはめても息子には意味がなかったのです。

自閉症という障害の問題点は、ひとりひとりが抱えている問題が違うという事です。
しかしTEACCHでは、そのひとりひとり違う認知スタイルでコミュニケーションができるように援助する。
絵カードが必要な人には絵カードを、手話が必要な人には手話を。
現在の息子の状態を例にすれば、こちら側からは「言語での指示」と「指差しなどの動作」と「顔の表情」でコミュニーケーションし、息子側からは「指差しなどを含む動作」で一生懸命コミュニケーションしてきます。
今、私はこれらの方法は、TEACCHの理念とかけ離れたモノだとは思っていません。

最近慌ててTEACCHの本を購入して読んだら「なるほど~、そうゆう事なのねぇ」と今度は納得できました。本(自閉症のトータルケア)に書いてあった一節。
「自分のタンスの中の衣類を整理する事もできなくて、個室を与えられた生活にどのような意味があるのか。重い運動機能の障害があるわけでもないのに、いつも入浴を介助され、シャワールームで、自分の全身を清潔に洗い流すことができなくてどうして人間としての尊厳を守られているといえるだろうか」
・ ・この言葉を見つけた時は衝撃的でした。自分では理解していた事だったはずなのですが。それでも「何かを」突きつけられた感じがしました。
現在私はTEACCHについて、本格的に勉強してみたいなと思っています。

ところで、タイトルのTEACCHかABAかという結論は(笑)
結局Mさんのところでいつも言われているように「イイトコドリ」という事になるのだと思います。
でもどんな療育方法にも共通している事があると思います。それは「子供をとにかくよーく観察しまくる」という事です。
 
私は療育センターに通いはじめた時に言われた印象的な言葉があります。
療育センターには行ったけれど、とても懐疑的だった私(いや、超攻撃モードだったかも)に対して、「お母さんのカンというのはあなどれないものなんですよ。それが正しい事が多いんです。 だってその子を1番たくさん見ているんですからねぇ」と言われた事があります。
だから「答えは子供の中にある」のだと私は常に思っています。

でもだからといって、お母さんたち頑張りすぎないで下さいね。
この言葉は「お母さん、頑張って」という意味で使用されたのではなく、モビルスーツを装着していた私を非装備にするために使われた言葉であって、お母さんがやらなければいけないという事では断じてないのです。
日本の療育事情は、確かにお粗末なモノかもしれませんが、ひとりで頑張るのだけはやめましょう。
いろんな人を巻き込んで助けてもらいながら、親も子供も『楽しく』療育していくのがベストだと思います。