子どもは、家族の宝?日本の宝?

想像を絶する虐待事件が起こり、世の中は「子供が可哀想」と一斉に騒ぎ始め、児相は何をやっていたのだと糾弾する意見もたくさん見受けられました。

 

www.nhk.or.jp

 

まだ1年も経っていない、目黒の虐待死事件の時と全く同じ感想や意見がループしている状況。虐待問題で何が問題なのか?私は、主にふたつの問題があると思っています。

 

ひとつは、児相、学校、保育園など、子どもの取り巻く施設が全て人手が足りず、施設間の情報共有ができていないことです。
そしてもうひとつは、日本が家族主義で他人が家族の中に介入するのが困難だからです。


まず最初に、児相などの子どもの施設について

児童相談所は子どもに関わる相談を受け付けている施設です。

 

ja.wikipedia.org

 

相談の種別は、五つに大別される。

養護相談 父母の家出、死亡、離婚、入院などによる養育困難、被虐待児など。
保健相談 未熟児、虚弱児、小児喘息など。
心身障害相談 障害児、発達障害、重度の心身障害など。
非行相談 虚言、家出、浪費癖、性的な逸脱、触法行為など。
育成相談 性格や行動、不登校

 

私自身、障害者の息子が手帳を取る際に児相にお世話になりました。
私の方から児相に連絡していましたが、20年前から予約は数か月待ちでした。
支援学校などに通っている生徒は、ほぼ福祉と連携取れていて状況が把握できているので、後回しになるのではないかと思います。

 

手帳取得の担当してくださった方は、面接をした心理士さんと医師でした。ただ医師はとても若い方でどうやら障害の知識があまりなく、息子の様子はあまり観察せずに、どこで診断を受けたか聞かれたぐらいで、どう見ても常勤でおられる先生ではないなと感じました。心理士さんは障害の事をよくご存じで、息子を様子を見たりいろいろ反応を見たりして、親の心配事なども聞いてくださったのですが。

 

さてここからは、私の推測です。
児相の中には多分トリアージ的なものがあり、本来は緊急性が高い事案は早めに動いているのではないかと思います。ただこの緊急事案は、子どもの危険度以外に周囲の誰がどれだけ児相にアプローチしてきたかというのもあるかもと。


例えば主治医や学校の先生など通報してきた人が、その後の様子を聞いてきたりすると、順番待ちでとは言いにくいでしょうし。何度も問い合わせをされると、動かざる負えなくなることもあるでしょう。


これは何度も言っていることですが、日本の福祉は申請制です。誰がが動かないと何も動きません。そして明確に要望を伝えられない人やアピールの仕方で、支援を受けられないことがあり、地域格差もあります。

ざっくり言うと、声が大きい人が優先で福祉を受けられるのです。

 

あと児相は公的機関なので、書類などの雑務などもあるでしょうし、書類と子供たちの緊急案件、どちらが優先事項だったのかなとか。

児相案件は全て個人情報なので表には絶対に出てこないものです。もしかすると今回の事件よりも大変な事案があった可能性もあります。あくまでも、私の想像ですが。


ただどの方向から見ても、圧倒的に人手が足りない現状ではあるのは、間違いないと思います。ネット上では児相の職員が非常勤だという話も流れてきていて、どれだけの人数が継続的に支援ができているかも疑問です。

 

児童相談所は子どもの人権や人命を守るための施設です。
人命を守っているという点ではある意味警察や消防と同じで、もっとたくさんの人手があってもいいと思います。
というか児相の人が「今日は暇だね」と言えるぐらいの職員がいてもいいと思います。

 

保育園も全然足りません。
今回の事件は、保育所に通っていた時に既に問題は出ていたそうですが、引越しして消えてしまったのだと。子どもの情報や障害児者の情報などは、未だに他機関と連携がとれていません。もう何年も前から言われ続けているのに。

 

私はどんな親にも多かれ少なかれ虐待する危険はあると思っています。これは私の経験談からそう思います。子どもとふたりだけの密室育児は、精神を病む環境だからです。
だからそれを防ぐためには、保育園を義務化し、家庭で育てる人も子どもを預かって欲しい時に預けられたり、保健所が保育園に出張して、健診を受けられるようになればいいと思っています。
子どもの健診は3歳児健診の次は就学時健診になるのですが、幼児期の大事な時期、1年ごとの健診をやってもいいのではと思います。特に障害がある子供の場合、この3歳から就学までの時期がブラックボックスになる事も多いので。

 

虐待のリスクを減らすのは、子育てに多くの人が関わることしかないと思っています。その理由は私自身がそれで助けられたからです。


という事で、その具体例を。家族の問題。実際にはこっちのほうが大問題です。

 

あと数年で還暦の私は、子どもの頃
「生意気なことを言うのは、自分で稼ぐようになってから言え。親の金で飯を食ってる間は口答えするな」と言われて育ちました。
幸い暴力などの虐待するような親ではありませんでしたが、多分(笑)

というのも小さい頃のことはよく覚えていません。よく覚えているのは、裸で庭にだされた事が何度かあったこと。今だったら完全にアウトでしょうが。しかし、何故怒られたのか理由は全く覚えていません。なので、怒られた意味を理解していたのかどうかもわからないですね。

あとは、家の中でスキップを練習させられたこと。幼稚園でできなくで、家でしつこく練習させられて、とても嫌でした。

 

母は過干渉の上に世間体ばかりを気にする人だったので折り合いが悪く、私は従順に従う性格でもなかったので、思春期以降はずっと事あるごとに衝突していたように思います。


でも、母親が言ってる事全てが正しい訳ではないと教えてくれた人が周囲にいて(父は私の事をよく理解してくれていました)、学校もそういう場所のひとつでした。

 

hii-1701.hatenablog.com

 
親以外の人も身近にいて緩衝材になってくれたおかげで、何とか成人することができたのだと思います。

 

私の実家周辺は、ご近所付き合いがある地域でした。
周囲の大人が子供たちの様子を見ていて、悪いことをすると注意をされる。例えば火事が起きた時などは、ご近所さんで荷物を運んだり片付けを手伝ったりするのが、ごく普通のことでした。

 

子供だったので詳細はわかりませんが、ご近所に子だくさんの家族が住んでいて、このお母さんが子育てに苦労していたようで、よく母やご近所さん達がいろいろ助けていたようでした。多分そのお母さんは何かしらの支援が必要な状態だったらしく、実母なども「あまり考えすぎないように」みたいな話を、うちでよくしていたた事を覚えています。ご近所と連携して、その家庭に夕食のごはんを持っていったりもしていました。
これが現代であれば、ネグレクトや虐待になる可能性が高いケースだと思いますが、その家庭は何とか子供たちの手がかからなくなったら、持ち直していったようでした。

 

政府はこういうご近所付き合いを復活させたいのだと思います。

 

「地域における住民主体の課題解決力強化・相談支援体制の在り方に関する検討会(地域力強化検討会)」の最終とりまとめを公表します                                              ~地域共生社会の実現に向けた新しいステージへ~

「地域における住民主体の課題解決力強化・相談支援体制の在り方に関する検討会(地域力強化検討会)」の最終とりまとめを公表します

2018/10/05 14:14

 

しかしご近所づきあいを知ってる私は、このままでは絶対無理だと思っています。

ご近所付き合いはうまく回ればいいのですが、全員が快く思えるケースなどないです。
近所付き合いが密接だと、1回でも何かトラブルが起これば地獄。あまりにもご近所が近すぎると、息苦しく感じる人はその地域から去っていきます。そして引越した人に対して、母は悪口雑言を吐いていました。
その後ご近所の子供たちはどんどん巣立っていき、ほとんどの子供は家から去っていきました。私自身、あの地域に一生住もうなんて一度も考えた事がありません。


子供の時には、周囲に見守られて有難かったのは確かですが、大人になってから周囲に監視されるのは恐怖でしかないです。

 

地域まるごと政策は、既に失敗した事例なんですよ。確かにうまく回る地域もあるかもしれませんが、それは住民の人徳に左右されます。まあ隣組のような強制的に命令するのではあれば別ですが。

 

時代が変わり、ご近所付き合いが崩壊、核家族の時代に移ります。今度はご近所がどんな人かもわからない。引越の挨拶に行っても、タオルなどを受け取ることを嫌がる人もいて、挨拶しても知らんぷりな人もいる。
何で、極端から極端に行くんだろ?

 

ただ、ひとつだけ変わっていないことがあります。家族という枠組みです。ご近所付き合いがあった時も、家族の問題には口は出せない事が多かったです。
子供の頃、ご近所で大喧嘩になったり、子供を叩いたりしてても基本素知らぬふりでした。家族には家族のルールがあるので、そこは不介入。
全然怒らない親に対して、家で母が「あの親は甘すぎる」と怒っていたことはあったけど。


ここでちょっと、アメリカの話を

 

 

この曲は1987年の大ヒット曲。アメリカの児童虐待は、この曲で変わったと言われているくらい衝撃的だったそうです。その後虐待の法律なども厳しくなったそうで。
今では車に子供を車に置いて買い物する事も虐待になるとか、はじめてのおつかいとか、信じられないとか。

 

その後、 2001年に公開された映画

 

 

知的障害の父と、その父が大好きな娘の話。
父親の養育能力がないという理由で、娘は施設に行くことを決められてしまう。

親に問題があったら子どもから容赦なく引き離す。例え子供自身が、親と住みたいと願ったとしても。子供は未来の納税者だから、学業が疎かになる可能性がある場合は、社会で子どもを育てようという考え方なのかもしれない。


しかし日本はまるで逆。子どもは家族の所有物のように扱われて育ちます。

 

 

何かあると「親の顔が見てみたい」など、子どもの責任は全て親にあるという考え方。親はその重い責任を背負ながら子育てし、ちょっとつまづくと何とかしなくては思い、うまくいかないと虐待に走る。

 

虐待している親に台詞をつけるのなら

「こんなに親が頑張ってるいるのに」

「お前が悪さをしたら、親のせいになるじゃないか」

 

子どもの人権は関係なし。ただただ自分が誰かに批判されるのが嫌なだけだろうと。

 

 

日本の児童の権利条約の書類を読んでいても、子どもの人権というより、子どもの矯正の話がとても多くて、なんか気分が悪くなりました。当然、親の虐待への提言なども一切なく。

 

虐待問題の解決方法。

親子の定義自体を法律で変えるか、親以外のたくさんの人とも関わりながら成長していく形を作って行くか。

とにかく、付け焼刃の施策では何も変わらないと思います。

 

しかし親に殺され、何も悪いことをしていない子供の個人情報がどんどん晒されて。

それを見た誰もが口々に可哀想だと言い、そして別な事件がきたら忘れてしまう。

そして同じような事件がまた起こり、また皆、口々に可哀想と言う。

 

可哀想と被害者を憐れむ前に、次の被害者が出ないように、何ができるのか。

まずこの社会の風向きを変え、空気を入れ替えたいなぁ。