弱者とは?【やまゆり園の事件に思うこと】1

2016.7/26の朝、いつのようにtwitterのタイムラインを見ていたら、目を疑うような情報が飛び込んできました。

 

www.pref.kanagawa.jp

 

私が、最初に思ったのは「危惧していた事が起ってしまったか」という感想。しかし、事件の詳細が明らかになっていくにつれて、あまりにもひどい惨劇に唖然としました。

さすがにここまでの事件が起きる事は想定外の事でした。特に犯行が衝動的ではなく、計画的に行われたという事実には、もはや理解すらできませんでした。

 

私が以前から、障害者を傷つける行為が起こる可能性として想定していたのは、非常時の混乱状態の場合などであって。例えば、障害者とのコミュニケーションがうまく取れず、加害行動を受けた場合や、地震などの非常時で混乱してる場合など。

こういう非常時には、人は理性的に行動するの難しく、弱者を排除する可能性はあるだろうという予測していました。

 

ネットではこういう意見も目にしました。

「障害者差別解消法が始まった記念すべき年なのに何故?」

でも私は以前から危機感をもっていたもうひとつの理由がまさにこの法律でした。この法律は、対象が障害者と限定した形になっているので、障害者が優遇されるような勘違いしてる人もいるようですが。この法律は、個人の権利を主張しにくい(できない)障害者の人権を守ろうという主旨のものであって、障害者が優遇されるというものではありません。今までの歴史の中で、差別により障害者の人権が否定された過去があったので、今後はそういう事をないようにという法律なんですが。一般人はそういう歴史を知らない方が多いようです。下記が一例です↓

 

就学猶予と就学免除 - Wikipedia

 

私宅監置 - Wikipedia

 

母体保護法 - Wikipedia

 

しかし最近の世相を見ていると、一般の人であっても、自分の主張をうまく伝えることができずに追い込まれている人や、貧困層と言われている方たちがおられて。

状況を聞くと、明らかに支援が必要な方たちも多く、しかし日本の福祉は、何かしらの名目がないと支援を受けられないので、頑張り続けるか、諦めて生活保護などを受けざる負えない状況になるまで放置されているのが現状で、それを不公平と感じる方などもおられてもおかしくはない空気があります。

 

しかも支援が必要な人の中に、本当に嘘をついていないか?など、疑いの目をもたれる方もおられるようで。そういう方の中には

「他人が得をしているのが許せない」

「自分が損をするのは絶対に許さない」

と考える方も少なからずおられるようです。

 

この現象が顕著になり話題に取り上げられるようになったのは、多分ここ10年くらいの事じゃないかと思います。

 

わかりあえたら:不寛容時代に/1 住民、漠たる不安 住宅街の障害者ホーム建設 「暮らし壊される」、過熱した反対運動 - 毎日新聞

 

その他にも、特別支援学校の建設反対。グループホーム建設の土地確保ができない。

その上、最近は幼稚園の建設まで反対運動が起きてしまい、待機児童がたくさんいるのに幼稚園を建設することすら困難な状況。

ですがそうやって反対している人達は、自分たちの行動が弱者いじめに繋がる可能性があるなどと、全く感じていないように思われ。ただ自分のテリトリーや権利を守りたいだけであって、それ以上の悪意はないようにも見えます。

 

最近話題になった特定の患者は医療費を高額にしろという意見も、医療費の支払いの不平等感→将来自分の医療費が減らされるかもしれないという、いわゆる牌の取り合いの話なのですが。自分か損をするのは困るので、言ってる事は一理あるかもしれないと感じ、むしろ自分たちのほうが、税金を使わない善良な市民であり、弱者の立場にあると思っている人もいるかもしれません。

そう考えるていくと、弱者とはなんなのか?

 

社会的弱者 - Wikipedia

 

社会的弱者の定義とは、マジョリティとの比較して不利益を生じてるマイノリティと定義?・・という事は、もし障害者や貧困層のほうが人数が多かったら、社会的弱者とは言わない?今後高齢者のほうが多い社会は、弱者だらけの社会になったら?←ここらへん、未だにちょっとモヤモヤしてて、自分の中で、解決できてません。なので、今回は社会的弱者ではなく、犯人が言っていた「生産性のない」障害者などの弱者という考えで話進めていきます。

 

以前見たテレビ番組を見て驚いた話。

 

www.sekino.info

 

グレートジャーニーは、好奇心旺盛な人類が冒険をしたようなイメージだったのですが、実際は弱者をコミュニティから追い出していった結果、どんどん広がっていったものなのだそうです。

 

tvtopic.goo.ne.jp

 

別番組で同じテーマを話しておられましたが。

「人の始まりはアフリカだという。そのアフリカを出て広がっていった人々。強い人が増え、押し出された弱い人がまた移動をしての繰り返しであり、最後はどんどん弱くなっていくという。南米最南端に移り住んだヤマナ族は22年前にはすでに2人だったが、現在は1人。日本やイギリスは弱い人の集まりだと語った。」

 

そしてこの話も。

 

www.asahi.com

 

この話が私の中で、とても腑に落ちたのです。

人が弱者を切り捨てる行動は、人という「動物」にとっては、異常な行動などではなく、普通に起こり得るものなのだと。人は常に人を選別(選択)しているのでしょう。

 

私が、このブログで感想を書いてるはみだしっ子という漫画に、こういうシーンかあります。

 

hii-1701.hatenablog.com

 ある事件に巻き込まれて、ひとりの男性が死んでしまう。直接、ピストルを撃ったのは、どんなことがあろうと守りたい大切な友達。友達は自分が撃った事は、理解していない。彼らは、亡くなった男性を秘密裡に隠す。しかし、ひとりの男性が亡くなってしまったという事実に、押しつぶされそうになる。

 f:id:hii-1701:20161026110715j:plain

 

例えば、人が誰かを好きになって結婚する。逆に、嫌いな人は距離をおいて離れようとする。そうやって誰もが誰かを選んでいて、そして選んだ人(モノ)は守ろうとする。

そういう視点では、誰もが平等なんかじゃないですよね。

 

すべての命の価値は同等であるというのは、正しいと思います。ただそこに人間の感情が混ざると、その人ごとに価値が変わってしまう。

 

私にとっての息子は、例え生産性がない障害者で、社会から「死ね」と言われる存在だとしても、必要な存在なんです。だからあの事件以降、息子が社会から殺されない為にはどうしたらよいのか・・ずっと考えています。

 

www.nhk.or.jp

 そしてこの番組を見て、また腑に落ちたのです。

 

カントは、平和論を構築する上で「人間の本性は邪悪である」という前提に立つ

やはり人の本質は、「善」ではなく「悪」なのだと確信する結果に。

 

しかしそれでは逆に、何故人間は今ままでの歴史の中で、弱者を守ろうと道徳や教育で規制をするようなことをやってきたのか疑問になります。

事件が起こった時、TL上に何度も流れてきたひとつの記事があります。

 

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

これを見て想い出したのは、テンプルさんの言葉。

 

www.ted.com

16:10 クリス:本当にありがとうございました 私が好きな あなたの一節があります 「もしなにかの魔法で 自閉症が絶やされたら 人類は今も洞窟の入り口で 焚き火を囲んで 暮らしているだろう」

16:26 テンプル:初めて石槍を作ったのは アスペルガーの人でしょう もし自閉症が無くなれば シリコンバレーも終わるでしょうし エネルギー問題も解決されないでしょう (拍手)

 

自閉症の才能開発―自閉症と天才をつなぐ環

自閉症の才能開発―自閉症と天才をつなぐ環

 

彼女のこの著書には、ノーベル賞の家系の自閉症者発症率は、通常より明らかに多いと書かれていました。特にアインシュタインの家系はとても多かったそうです。

多様性があるからこそ、世の中は進化してきたのだと。

 

きっと、こんな記事を読んでも、障害者は必要ないと考える方はたくさんおられるでしょう。将来に明るさを感じることができない今の世相では、自分が生きていくことに精一杯で、人の事に構っていられるような状況ではない方もたくさんおられるでしょうから。あの事件は世相とリンクをしています。

 

www.nhk.or.jp

 

なので、次の記事では、障害者が社会の一員として生活していける社会になるのか?

具体的に考えてみたいと思います。

 

 

hii-1701.hatenablog.com