個々のニーズを全ての人に

 残念が事故が起こりました。

 

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東京都の中でも特支学校のモデル校として有名な学校で起こった、この事故。防げなかったのだろうかという苛立ちを感じます。

特支学校は障害がある子供が通う学校なので、個々のニーズが保証されています。それは本人の能力や障害の特性に応じた教育を行うという意味であって、できないことを許してもらえるという意味ではありません。出来る能力、好きなことを伸ばすための場所なので、こういう事故は起こりにくい筈なのですが・・

多分、個々の能力を読み取れなかったのでは思います。

 

私はこの事故は防げた筈だと思います。そしてそのヒントは、昨日放送されたこの番組にあると思います。

 

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 特に興味深かったのが、高校のバスケットボール部に、健康管理アプリを導入したという話題です。本人の体調や身体の痛いところなどをアプリに入力して記録することによって、事前に怪我の予防しようという取組みでした。アプリ導入前は、身体がちょっと痛くでも言えなかったことがあったが、導入後はチェックするだけなので報告しやすくなったということ。そのデータは監督やコーチが一元化してチェックすることで、より細かく生徒の状態を把握できるようになったと。そして一番有効だと思われるのが、自分の身体を自分で管理しようとする意識が生まれるところだと思います。

 

そこで思いだしたのが、ここ数年、時期になると話題になるこれ

 

www.huffingtonpost.jp

 

事故が起こるのは、プログラムに対応する能力がない生徒達も含めて

「みんな一緒に」やらされてきたからだと思います。組体操自体、やりたいと思う生徒、できる能力がある生徒もいると思います。

能力がない生徒を助け合いながら的なものが、美しいとされる教育が、こういう事故を招くことになるのだと思います。

 

しばらく前に、こういう話題もありました。

 

www.asahi.com

 

誰にも、好き嫌いと出来る出来ないがあります。

 

組体操をする体力があって、組体操が好きな子。

組体操をする体力があるけど、組体操が嫌いな子。

組体操をする体力はないけど、組体操が好きな子。

組体操をする体力はなくて、組体操が嫌いな子。

 

全ての生徒の個々の能力データをしっかり把握して、誰もが個々に合った教育を受けられるようになればいいのにと思います。ICT教育が導入されようとして今なら、それは簡単にできる筈なのですが。

 

でも問題がでそうな予感はあります。保護者からの苦情です。

例えば組体操に子供を参加させたい親が「うちの子はもっとでき筈などと文句を言ってくる人が登場しそう・・・

「他よりも劣っている」と感じてしまうのでしょう。

劣ってる訳ではなく、向いてないだけなんですけどね。

 

日本の教育は「金太郎飴」作りみたいなもんで。

手作り飴は、金がかかるからやりたくないんでしょう。

せめて大量の金型を作って、合いそうなものを使えるようにするくらいの事はやってもいいと思うんですけどね。

一度作った金型は未来の財産もなっていきますし。