ギラン・バレー日記⑥ 大学病院についての一考察?

(2001.8.29記)

 

~大学病院嫌いの方、是非お読みください

 

実は私は大学病院が嫌いです。そんな私がなんの因果か大学病院に入院する羽目になりました。どんなところが嫌いなのか。入院して変わったのかというお話しです。

 

病院を取り巻いている人種が嫌い!


ただの風邪なのに子供をわざわざ大学病院に連れてくる親。他に難しい病気をもっているのであれは理解できるけど。それに病院に通うのに何時間もかけて来る人たち。

ある日病院で「私は○時間もかけてここまできてるのよ。風邪で具合が悪いから○○先生に早く診てもらえないだろうか?」と看護婦さんに言っていて。でも看護婦さんに「単なる風邪なら近くの病院でも構わないんですよ~」といなされてた。

 

要するにこうゆう人たちにとって大学病院は「ブラント」なんだね。実は病院側もこのタイプの患者には困っているようだ。こういった人たちがいなくなれば病院の待ち時間だって短くなるしね。(この待ち時間も嫌いな理由のひとつ)

でも病院だから「来るものは拒めない」のだって。

 

検査が多い!

 

大学病院に入院するという事は検査だらけの日々を過ごすという風に覚悟しなくてはいけない。気分は「プリズナー」?「モルモット」?

でも入院していろいろな事を見ているうちに、この検査にはちゃんと理由があるのだという気づく。入院していても特に先生が毎日診察にくるわけでない

(顔色は伺いにくるけど)

それじゃあ何を根拠に患者の状態を把握するのかというと「検査」なのだ。検査の数値が全て。

 

例えは私の診断名はギラン・バレー症候群だったのだけれど、最初は「医者の経験」によって推測されていた状態だったわけだ。事実先生たちはこの時点では一度も断定した言い方はしない。それで髄液検査、血液検査でその「証拠」とも言えるデータが出た時に初めて診断がおりるわけだ。

大学病院はこのデータを積み重ねていく事が使命なのだろう。それによって難しい病気も解明されていく。「そんな事は当然知ってる」と言う人もいるかもしれない。私も理解はしていたのだか私が見た限りでは

 

「大学病院では医者の経験よりデータのほうが偉い!」


・ ・・おいおい、素人が断言していいのか?あくまでも私感ですけど。
逆に言えばデータ優先だから「~でなければならない」というマニュアルで動いているという感じも受けなかった。「データ」という証拠があるからそうゆう事もできるのかもしれない。だからたとえ「貧血」でもデータという証拠がなければならないとか。

実はあの時の検査は中止にしてくれましたけどね。

でも本当は取りたかったんだろうなぁ、きっと。

 

でも「検査じゃわからない病気もあるんじゃない?」と思いませんか?

だからここの病院は「できない検査はない!」のだそうだ。

そして検査技師さんたちはこれまた使命感が強い人が多くって、完璧に検査をする事にこだわっている人たちばっかりだ。入院中「ごめん~、もう1回とらせて」と何度言われた事か。 正確な検査データがあるからこそ出来る技なのかも知れない。

 

ところで「自閉症と断定できる検査」ってないのかしら?

聞いてくれはよかったわ。・・イヤミかしら?(笑)

 

信用できない!

 

うちの子供は自閉症です。なので大学病院はもちろん行った事がある。

でもちゃんとした専門医がいる病院なのに、子供に対する対応がひどかったりするのだ。病院側のシステムや看護婦さんの知識のなさに、びっくりしてキレかけた事もある。でも医者に訴えても直らないんだな、それが大学病院だ。

それに医者自体も信用できない。

発達障害という分野ではっきりした答えを出せる医者は、日本ではほんの一握りと言われている。信用できる医者はとても少ないという事だ。ネットでも「大学病院」というと大抵が悪い噂。

 

それにこんなイメージがある。

「新薬とか最新治療を知らないうちにされそう」・・テレヒドラマの見過ぎかなぁ?

 

実は私が受けたのは「保険適用されたばっかりの治療」だっだのだが、ネットで先に情報を知っていたおかげですんなり納得できた。この点は本当に良かったと思う。

でも説明も十分にしてくれず「この治療でしか直らない」という断定的言い方をされたらどうだろう?

同じ治療を受けるのでも、医者を信頼できなくなってしまうかもしれない。
要は治療を受ける側が納得できる説明をちゃんとしてくれるかどうかって事が重要。

ものすごい疑心暗鬼な状態で入院した私だったが、ここの先生たちは事あるごとに説明は欠かさずしてくれたので、早い時期に「ここの病院は大丈夫だろう」と安心できた。

本当に説明は(特に薬の副作用に関して)うるさいくらいしてくれました。

なにせ担当の先生が3人もいてそれぞれが説明してくれるし、看護婦さんまで説明していくのよ。

 

そういえばここの看護婦さんたちは、しっかりした知識をもった人たちが多かったようです。神経内科はデリケートな患者さんたちが多いので、看護婦さんの力量が問われる病棟だからだと思う。

結局あんまり行きたくはないところというのは変わっていないけど、大学病院にはちゃんとした使命があるという事だけは理解できたような気がする。それに今回の病気に関しては、大学病院でなければ出来ないのではないかと思われるケアがたくさんあったように思う。

だから難しい病気の時はやはり大学病院や専門医を選択するほうがいいと思います。
未来の医学の発展のためにもね。それとは逆に大した病気でない時は「信頼できる近所のかかりつけ医」に行きましょうねぇ。

 

ギラン・バレー日記⑤ リハビリについて

(2001.8.29記)

 

リハビリテーションセンターというので、すごく広い空間を想像してたのだが思ったよりは狭い空間だった。PTもたくさんいるという訳ではないみたいで、多分全部で十数人といったところだと思う。

ほとんどが男性なのだかその中の数少ない若い女の先生が私の担当PTだった。

STは私が見たところ1人、OTも数人しかいないようだ。やはりどこにいってもSTとOTは少ない。

 

最初に私のリハビリメニューの説明から。
私の場合は身体が特に固くなっているという事はなく、ストレッチは全く必要がなかった。とにかく筋肉がげっそり落ちている状態だったから、全て筋トレのメニューになった。それも1番の問題点は「ふともも」だ。

コレの強化が第1となる。でもまだ麻痺がかなり残っている状態から始めたので最初はゆっくりペースだった。あとは顔面麻痺をあるので顔のリハビリをするとの事だった。最初「顔のリハビリ」と言われてイメージが沸かなかったのだが。顔にはもちろん筋肉が存在していて、それを麻痺した間動かさないでおくと筋肉たちは動き方を忘れてしまうのだそうだ。

だから微弱な電気を通して刺激を与えて無理矢理動かすようにしていると、麻痺がなくなった時にスムーズに元にもどるのだそうだ。なるほどねー。もちろんそれと同時に顔の運動もする。鏡を見てしわを作るように心がけながら顔を動かす。

 

筋トレのメニューは最初は全て寝た体勢で行うものだった。

 

おもりのついた棒を持ち上げる(最初は500㌘)


 三角のクッションを膝にいれる。その状態で足をゆっくり上げてゆっくり下げる


腰をあげる。

 

から始まる。


最初左足は絶望的に上がらなかった。特にこの「ゆっくり上げてゆっくり下げる」というのはかなりキツイ。でも私の1番の問題点のふとももの筋肉をつけるのにはこの「ゆっくり下げる」が1番効果的なのだそうだ。

結構地道なメニューだ。「腰あげ」は身体が動くようになったらやっておいたほうがいいと主人に言われていたのでリハビリに行く前からやっていた。実は主人は高校生の時バイクで事故って生死の境をさまよったらしく、その時にリハビリは経験済みなのでとても詳しい。

 

それでも毎日続けていると不思議に少しずつ足が上がっていくようになる。

でもまだ下げる時にガタンと落ちてしまったりする。持ちこたえられないのだ。

すると次に

 

足の下に板を敷いて膝を曲げる(足がおしりにつくまで)

 
足の下に板を敷いて開脚する

 

が追加される。つるつるした板の上でタオルを巻いてやるので結構すべる。

それをこらえてやるのが効果的らしい。

開脚は特に問題はなかったが、やはり膝を曲げるメニューは左がおしりまでつかない。

とにかく左を中心に筋トレするように心がける。

しばらくすると足をあげるのもかなり持ちこたえられるようになってきたので、右だけ少しおもりをつけるようになる。

やはり最初は500㌘から。

 

手が上がらないので頭が上手に洗えないと相談すると手の運動を

 

 両端に取っ手がついたひもを滑車にかけてその下に座って互い違いに引っ張る。

 

に変更してくれる。要は手をまっすぐ上にあげる運動なのだ。なかなか自分であげなれないので片方の手で引っ張って上に思いっきりあげるようにするのだ。これをやったら2日で手があがるようになった。やっぱ相談してみるもんだわ(笑)

 

おもりは徐々に重くなっていった。

退院時には右足は2㌔、左足は1㌔だったと思う。

 


ところで私はここの病院では若い患者の部類に入り(笑)、筋トレメニューしかやっていないので慣れてくると自主的にやっている事が多くなった。身体を動かしているだけなので暇だからリハビリセンターの様子を見ながらやったりしてたのだか。

私が1番びっくりしたのがここのPTたちの動きだ。

まず患者さんのほとんどは車いすでやってくる。すると必ず目をあわせるようにして挨拶をして今日の体調を伺う。それから部屋の状況を見て空いているベットに誘導。実はここのPTたち、同時進行で数人の患者さんを診るのだ。

だから他の患者の進行状況も見ながら課題を与えてまだ動くという事を絶えずやっている。もちろんこの状態でストレッチメニューも入る。う~ん、お見事!

 

しかし最もこの人たちを侮れないと思ったのは「人への対応の仕方」なんだよね。病院だからどうしてもご老人が多い。私もそうだけど大抵の人は「痛いのは嫌い」なわけで当然痛みを伴うストレッチをさせるのは大変だ。

それを「昨日は○回やりましたよね。だから今日は○回やりましょうよ~、昨日できたから大丈夫だよね」(スモールステッブ)

とか言いながらやっている。そしてできたら誉める誉める(2次強化)

「すごいなぁ、○ヶ月前に比べたらすごくよくなっているの自分でもわかるでしょう?」と良くなっている事を実感させる。

とにかく患者さんによく話しかけるし、話もちゃんと聞いている。

・・・・○○のホストより強者かもしれないわ。

 

いや事実、奥様方はリハビリを楽しみになさっている方がとても多かったようだ。

でも医者の指示通りのメニューはきっとこなしているのだろう。とにかく感動もんでしたよ。リハビリセンター内2次強化の嵐だったもの。一度療育センターの先生たちに見学してもらいたいもんだと思ってしまった私。個別指導をどうやったらいいのかと悩んでいる学校の先生もどうでしょう?

障害児にもこのやり方有効だと思うんだけどねぇ。

 

 平行棒をつたって歩く(歩行訓練)

 

歩く練習というよりも「どういうバランスで歩いていたのかを想いだす」と言ったほうがいいのかもしれない。でも歩く以前にまっすぐ立って前後左右に少し体重をかけるだけでふらつくのを発見。

平行棒につかまって前後左右に体重移動する練習からはじめる。

あと平行棒につかまってももを高くあげてあるいてみる。

しばらくするとちゃんと体重移動しながらあるけるようになる。

ただしその歩き方ではつかまるところがないと気分的に恐い。

「ふともも」をもっと効果的に鍛えるメニューはないかとPTも考えてくれたのだが

それ以外のところもあまりよくなっていないので、なかなかうまくいかない。

エアロバイクを使うなんて荒技の案もでたけどできなかった。

本当は「スクワット」が1番効果的なのだが、しゃがむと立ち上がれないので無理。

結局地道に足あげをする事になった。

退院が近くなってきた頃、ステロイドの効果もあって顔のしわはかなりはっきりしてきた。ただしまだ笑ったりすると・・顔がこっ、こわい(笑)

 

バタハダっと退院を決めてしまったので、急いで自宅で行うメニューを考えてもらう。

 

寝て行うメニュー

 

 

あおむけで、足首を立ててゆっくりあげて、ゆっくり下げる。


腰あげ


横向きになって上に足をあげてから、身体に向かってそらすようにする。

 

座って行うメニュー

     

両手におもり(退院時は250㌘)を持って前に持っていき、そのまままっすぐ広げる


椅子の端に手をかけ身体を浮かす。

 

バランスのメニュー

 

片ひざをついてバランスをとる練習

 

それができたら片ひざを出来るだけ保持できるようにする。最後は片ひざをついたまま立つ練習。

 

握力のメニュー

 

ボールを握る

 

 

ギラン・バレー日記④入院25日目から退院まで

(2001.8.29記)

 

発症25~31日


入院中の血液採取は3~4日に1度くらいで行われる。前にも書いたが私の血管はとても採取しにくい。新人の看護婦さんに「婦長さ~ん」と泣き入れられた経験数回、担当が3人以上変わった事は数え切れない

輝かしい戦績を残してきた血管なのだ!(自慢してどうするんだ!)

その上体重が落ちていてこの時38キロ(普段は42~3キロ)くらいしかない。

はっきりいって最悪の状態だ。

なのにこの日から予告されていた注射(静脈)を毎日打つ事が決まった。

最初のうちは良かったのだか、毎日打っていると打つところがなくなってくるらしく、せっかく血管に入っても薬が入っていかないなんて事もあった(血管がへたるというのだそうだ)。ここで、一応補足しておくが決して先生たちの腕のせいではない。

 

しかし毎日そんな事をしていると、先生たちのキャラがよくわかってくる。担当医♀は顔だちは幼い印象で笑うとメチャかわいい♪のだか発言がとっーてもストレート。ある日血液採取をしにきたので寝たふりしてたら、「血とらないと、いつまでたっても注射おわらないよ~」とか言う。それが何故か冗談に聞こえないんだわ。

こっ、こわい。見た目とのギャップがありすぎるんだなこの先生。

一方担当医は♂・・一言で表現すると「とぼけている」ぶつぶつ言いながら「なんでこんなに取りにくいんだ」とか言う。「そんな事私に言われてもねぇ」

しかも、血液採取の時「股からとらせろ!」とか言う。普通言うかなぁ?

一応私女性なんですけどねぇ。

でも私も「また、マタですかぁ?」とか言ってるんだけどねぇ

・・あ゛゛~、入院してるとギャクまでなまってしまって哀しいものがある。

 

私の体調が良くなると主治医はほとんど顔をみせなくなり、担当医のどちらかが様子をみにくるようになる。このあたりから、食欲もでてきて「肉が食べたい」なんて気分にもなっていたのだが、嚥下が未だにあまり良くならず、普通食は食べられない状態だった。でも食べないと筋力もつかなしいリハビリの効果も薄れる。

そんな事を担当医♂に話していると「プロティン飲んだら?」という。そうだ、その手があったわ。早速主人に言って買ってきてもらう。それからチーズなんかも高タンパクだと思って頼む。

このあたりになるとかなり身体も動くようになってきていて、トイレに行く時に立ち上がるのもつかまってなら、スムーズになってきていた。看護婦さんたちも口々に「もうひとりで行けそうだよねぇ」と言う。

その時点ではまだ看護婦さんを呼んでトイレに行くようにという指示だったので、担当医♂に1人でトイレに行く許可を再三頼んでいたのだがなかなか出してくれなかったのだ。でもしばらくすると私がうるさかったのか、やっと許可が下りる。

 

担当医♀が診察をしにくる。私の心音を聞いて「心雑音が結構ひどいねぇ」という。

私は検診などにかかると必ず「心雑音、心拍の乱れ、不整脈」を指摘される。

でもいつも言われるだけで特に要検査になった事はなかった。

「調べたほうがいいよ」と言われ有無を言わせず心エコーの検査を入れられてしまった。だから頼んでないのにぃ・・。

 

発症32日~37日

 

担当医♀が「血液検査の結果、注射終了!」と言いにくる。2人で拍手~♪

バチバチバチ!

プロテインは最初毎日3回飲んだ。主人が買ってきてくれたのは、粉のタイプのヤツで粉ミルクのような甘いニオイがした。インスタントコーヒーを一緒に入れて牛乳などでまぜまぜしたのでどうにか飲めた。飲んだあときな粉のように口の中がザラザラっとしたのが残り気持ちが悪いのでそのあとにまた水分を摂る。

 

その後普通食に変更してもらう。食べられる自信はなかったのだが、以前よりはかなり良くなっている印象があったから。その結果どうにか食べられそうだった。それと同時にお箸を使ってみたらどうにか使える事が判明。

しかも小さいモノも結構つまめる。実は手は最初によくなった箇所なのだが「手の震え」だけが残っていて、上手に字を書く事ができないでいて、毎日少しずつ字を書くように言われていたのだ。だからお箸もリハビリしないと無理だと思っていたのだが。

要は単に「力が入らない状態」なのだろう。

お箸には力は必要ないから使えるという事である。

 

この週の体重測定で1キロ増えた、わ~い♪

プロテイン効果と普通食が効いたのだろう。

身体も徐々に良くなってきているが、やはりグロブリンを使用した時のように劇的な効果は薄れてきていた。そこで「ステロイド使用」という話が持ち上がる。担当医♂が説明にくる。使用すれば早く治る可能性があるという事。

使用しなくても徐々には良くなるので、時間が短縮されるという風な印象だった。

その時の会話。


ひいろ「あと1ヶ月の入院が半分になる?」

 

先生「何ともいえないけどやってみる価値はあると思う」


実は息子の状態を考えると今すぐにでも帰りたかったのでこの話は魅力的だったのだ。

でも小さい子供の母親なら「ステロイド」と聞くだけできっと身構えてしまうハズである。でも


先生「今回使用するのは「短期投与」だから。それにこの薬に関しては神経内科では使い慣れているから大丈夫。主な副作用は、まず胃をやられる。だからセットで必ず胃薬がでる。それと顔が膨らむ」


ひいろ「膨らむ?むくむんじゃなくって?」

 

先生「う~ん、ちょっと違う。それに肌がきれいになる」

 

ひいろ「へっ?ソレっておいしいじゃん!」


要は顔がバンバンになってつやつやしてくるらしい。う~ん、ちょっとこわいな。

その日は「主人と相談して決めます」と結論はださなかった。

 

発症38日目

 

この日は週に1度のシーツ交換の日だっだ。病院内はとても暑くて、私は毛布一枚だけしか使っていなかったのだが、どうもマニュアルがあるらしくいつもタオルケットをセットされてしまうのだ。

それに枕も自分のうちから持ってきてるのでいらない。この頃になると自分の食器を持って片づけたりしていたので、看護婦さんたちは忙しいから、ちょっとそこまで持っていこうと思ったのがいけなかったのだ。

 

タオルケットと枕を持って病室から出た途端、方向転換ができずにそのまま後ろに棒のようにぶっ倒れた!

まるでエノケンのように(萩本欽一でも可)・・カキーンという音がした。
高周波の除夜の鐘みたいな金属音だっだ。

(やはり私の身体はモビルスーツで出来てるのか?)

目が回るなんてもんじゃなくって、いろんなところにグルグル渦巻がみえる。

 

慌てて看護婦さんたちが飛んできて、みんなでそのまま私をベットまで運んでくれる。当然担当医♂がカッ飛んできた。診察の結果、特に今のところ問題はないようだとの事。絶対「ほうら、やった」と怒られると思ったが、帰り際「今度転んだら、また看護婦さんに監視させるからねぇ」と言って去っていく。

どこまでも「とぼけた」担当医である。

頭はしばらく回っていた。一応念の為に夕食は食べなかった。トイレに行った時吐きそうになったので。でも横になってチーズとか食べても大丈夫だった。

 

実は私の1番の問題は「ふとももに力が入らない」という事なのだが、ふとももに力がはいらなくても「歩く事は可能」だったりするのだ(発症した日もそうだった)。

でもそれはとても不安定な状態でいつ転んでもいい状態でもあるのだ。

担当医♂が最後まで1人で歩く許可を出し渋ったのはそうゆう理由だったのだろう。

私も頭ではちゃんと理解はしていたのだが、何しろ経験主義(経験した事しか信じない)なもので。

今回の件でお医者様の言うことはやはり聞かなければいけないと反省した。

 

夕方担当医♀も様子を見にやってくる。

「気をつけてねぇ。怪我でもしたら大変だからねぇ」
病院内で怪我などをすると、とっても厄介な事になるらしい。本人の不注意で転んでも病院には責任があるのだそうだ。例えば患者がちょっと転んでも(以前にも数回やっていた、実は前科者だったのだ)看護婦さんはレポートを提出しなくてはならないのだそうで、要は仕事を増やしてしまうのだ。はいごめんなさい。深~く反省いたします。

 

でもすぐ忘れるんだな。だってバカは死ななきゃ治らないんだも~ん♪

 

発症39~47日目

家族会議の結果(って主人と話しただけ)ステロイトを始める事にした。

そういえば担当医♂が説明してくれた際に錠剤はすっごい苦いよって脅かされた。

それが嫌なら注射もあるよと言うから「また先生たち血管見ながら悩むからそれはやめよう」と進言する。

でも飲んだら我慢できる程度だった。単に脅かされただけだった。

 

お風呂もひとりでどうにか入れるようになった。椅子に座って洋服の着脱もできるし
頭も身体も洗える。ただし力はまだまだなので上手には洗えないが。

それに足の裏が洗えない(笑)

でも病院のお風呂は手すりがたくさんついているし呼び出しもついてるので安心だ。

この週主人が主治医に逢いにやってくる。主人はいつも息子を連れて週末に来るので

、実はここまで先生たちと一度も面識がなかったのだ。

今までの経過報告をしてもらったようだ。

(私はリハビリに行ってたのでここにはいなかった)

 

例の脊髄のMRI写真も見せてもらったそうで「あれは角じゃないぞ、どう見ても耳だ」とか訳のわからない事を言ってる。ロールシャッハテストじゃないんだからどうみえるかという問題じゃないんですけど(笑)

退院は1ヶ月後という話だったらしい。

 

それではちょっと間に合わない、どうしようと話していると担当医♂がやってきて「階段登ってみようか?」という。それで主人と一緒に階段に行って登ってみる。

リハビリから帰ったばかりだったので、ちょっとその日は自信がなく、4~5段登ってやめる。「コレが登れないとウチには帰れないぞ~」という事なのだが

「先生、いつ退院させてくれる?」と切り出す。

「とにかく来週にでも外出許可出すから。一度帰って生活出来るかやってみて」という事になる。

 

ステロイドを飲みだしてしばらくすると左の目が痛くなる。どうやらまぶたが降りてきてまつげが当たって痛いようだ。またしばらくすると、おでこのしわがうっすらでできた。最初は顔に効果がでてきたようだ。

身体のほうも明らかに以前よりも軽くなってきて、リハビリの時につけるおもりも1ランクずつ上がった。

 

効果はあったのだと思う。ただ生理がとまってしまっていた。薬のせいで遅れたり止まったりするのだそうだ。夕方担当医♂がやってきて「階段のぼるぞ~」と言う。この日はどうにか自力で登り降りする事ができた。

ただし降りるのはかなり恐いが・・帰り際「この扉あけられる?」という。結構重たい扉だったが一応開ける事ができた。

「社会に戻るとこうゆう風に至るところにトラップがあるんだよ~」と言う。

ギラン・バレーの患者はどうしても身体中の力が入らなくなるので、出来ると思っていると痛い目に合うのだ。

あっ、もう痛い目にあってるか(笑)

 

実はこの時以前転んでからしばらく経っているのだけれど、まだ頭のふらつきがある事を話す。そしたらその日の夜、突然主治医と担当医2人が揃い踏みでやってきた。

医者が3人一緒で来ると結構威圧感があるからやめてほしい。どこぞの水戸黄門かと思った。担当医♂が頭のふらつきの事を心配して主治医に話したようだ。

それで主治医の診察の結果「軽いむちうち状態」だという事。

次の日PTにその事を話したら「いじらないでそのまま放っておいたほうがいいですよ」という話だった。

 

発症48日目

 

昼ごろ待ちに待っていた「お客様が」がいらっしゃる。結局2週間近く遅れたと思う。それからリハビリに行っていつも通りにメニューをやっていたら、突然頭がくらくらっとする。「変だな~」と思っていたら、今度は胃がムカムカして気持ちが悪い。

こんな日に限ってリハビリ後にMRI・CTが入ってたりする。

担当のPTに事情を説明して少し早く上がって検査に行く事にする。

検査室のほうでも事情を説明して早めに検査をしてもらう。

だってMRIの中で吐いたりしたらシャレにもなんないもん。

どうにか無事に検査を終えて病室に帰ってきた。

夕方担当医♀が現われたので「先生~、きもちわる~」と事情を説明。

「う~ん、貧血じゃない?」

なんですと!「ヒ・ン・ケ・ツ?」・・実はこの歳にして初体験だ!

自慢じゃないが今まで貧血で倒れた事がなど1回もない。

確かに1度倒れてみたいという憧れがあったが、まさか○○歳でなるとは。

う~ん、これで私も深窓の令嬢の仲間入りかしら?
「気持ち悪いのは薬の副作用だと思う」と言って、もちろんその場で胃薬追加されましたわ。


私は体調の悪い時に胃酸過多の傾向になるのだ。多分そのせいだろう。
生理が始まったせいで身体のバランスが崩れていろんな症状が一気にでてしまったのだろう。しかし「もうダメですぅ」って感じで、突然全部の症状が1度にででくるなんて、やっぱ私の身体の反応はちょっと変わっている。

実は風邪をひく時も大抵そんな感じ。



発症49日目

昨日と変わらず朝から気持ちが悪い。ペットの頭を上げているとまだいいので、横にならずに1日を過ごす。この日はさすがの私もリハビリを休む。

担当医♂が来て「貧血?鉄剤だす?」というので「いらん!」という。

担当医♀が「血液検査すれば貧血かどうかわかるんだけど」

「血が足りないって言っているのに、血液採取するかなぁ?」と言い放つ。

・・・はい、全くお医者さまの言う事など聞きゃあしません。全然懲りてない(笑)
だって人間今まで培ってきた性格、そんなにすくには変えられませんわ。

 

しかし困ったのは、実は次の日外泊予定の日だったのだ。

私は車に酔いやすい体質で今のままではちょっと帰る自信がない。

すると担当医♂が「酔い止めだす?」

・・・・う~ん、本当はどっちが懲りてないんだろう(笑)

 

とにかく1日様子をみて明日体調が良かったら帰る事にした。
その日主人が来る予定だったので、鉄の補助食品を買ってきてもらい、それをバリバリ食べる。ああっ、本当はレバニラが食べたかった。病院でなんで出ないんだろ?

 

発症50~51日

 

昨日よりは体調がいいようだ、どうにか帰れそうなので主人に予定通りという連絡をして午後車で迎えにきてもらう。出掛ける前に看護婦さんが明日の分のステロイドを持ってきて「絶対忘れずに飲んでねぇ」という。

実はステロイドは飲みはじめたら急にやめるのはとても危険なのだ。量を徐々に減らしていかないとリバウンドして症状が悪化する事があるらしい。だから長期服用している人にとっては「なかなかやめられない薬」になるそうだ(これは主人情報)。

何度も確認して持ち帰る。

 

ここに入院した時は全く身体が動かず車から出るのも大変だった。

そのイメージがあって車に乗れるのかと不安だったのでわざわざ車椅子を借りて車まで行ったのだかあまりにもヒョイと乗れたのでびっくりした。身体がまた軽くなっているようだ。マンションに入る階段も全く問題なく登れて無事我が家に帰ってこれた。

 

ところで我が家は至るところに「自閉症児対策システム」が施されていて通称「要塞屋敷」と呼ばれている。要は狭いマンションのありとあらゆるところにカギ付きの柵があり、棚の上に登れないようにネズミ落としまであったりする。

 

hii-1701.hatenablog.com

 

・・という事はつかまる所もたくさんあるのでこれなら大丈夫と安心する。

コレが広い家だったら結構大変だったと思う。

貧乏人でよかったわ。

パソコンも打てるし(シフトキーがちょっと大変だけど)包丁もどうにか使えそうだ。もちろん病気以前のスピードでは出来ないが、ゆっくりやれば大丈夫。大きな芽のでた2ヶ月前のじゃがいもの皮をむき千切り、みじん切りにしてみた。

ちょっと大きめだが元からそんな料理上手ではないので気にしない事にする。

決して手抜きではないぞ!

 

トイレは問題なし。床から立ち上がるのもコタツを利用して立ち上がれた。

でも今使っているお風呂用の椅子は小さくて、これでは自力で立ち上がれない。

今病院で使っているのに近い高さのあるモノを買う事にする。

あと台所で仕事をする時に休憩するのに椅子が必要という事になり、これも購入する事にした。

生活は全く問題なしでできそうだ。私自身の不安もコレで消えた。

 

髪の毛を主人に肩のあたりで切ってもらった。美容院に行きたかったのだが面倒だったので。もちろんすっごい変っ!

ところで帰ってきて何を1番食べたくなったか?というと「カップラーメン」なんだなっ!身体に悪いし塩分もたっくさんある「あの悪の味」う~ん、幸せ♪
主人が「ステロイド飲んでる時は塩分控えめって書いてあったぞ」って言う。

「ふ~ん、でも食べちゃいけないって言われてないも~ん♪」次の日病院に戻る。


発症52~56日目

 

担当医♂が「どうだった?」とやってくる。

「問題ないです」「よおし、退院日決めよう!」

入院して56日目に検査が入ってるから、それ以降ならいいというので56日目に決める。ただし、主治医の許可がおりたらという話。

だかそっちもあっさり許可がでた。通常ではこんなに急いで退院はしないのだが(本当はまだ検査も残ってたようだ)無理を言って退院させてもらった。

 

退院時の身体の状態

 

歩行はゆっくりであればできる。ただしふとももが未だに弱いので、ガクッと転ぶ可能性がある。階段も手すりがあれば腕の力を使って登り降りできる。立ったままの状態も15分くらいは保持できる。

足は座った状態で前に少し上がるくらい。しゃがめないので落としたモノは拾えない。まるで女王様です。
手は上がるので台所の上のモノも取れる。でも帰ってきてやかんに満タンに水を汲んだら運べなかった。

 

指の震えもかなりあって中身の入ったコーヒーカップは持てない。字も上手に書けない。顔面麻痺はしわも戻ってきていてかなり良くなっているが、左目がまだ明らかに残っていて左だけの瞬きはできない。

下唇と舌はしゃべるのには不自由はしないが痺れは確実に残っている。

そういえば私の麻痺は左優位だったのだが、舌だけは右が痺れているんだな。

不思議だ。

 

呼吸器が良くなっていないようで少し無理をすると息があがってしまい、歌をずっと唄っていると胸が痛くなる。

ギラン・バレー日記③ 入院6日目から24日目

(2001.8.29記)

 

発症6日目

 

転院の日。主人が車で迎えにきてくれる。車に乗るのは看護婦さんが手伝ってくれて大丈夫だった。シートを1番後ろまで倒して、どうにか無事に病院に到着できた。
大学病院でも看護婦さんがすぐ車いすを持って迎えにきてくれて診察室に通された。
名前を聞いていた先生が、私を見て簡単に診察する。

どうやらこの先生が神経内科のボスのようだ。

 

「うん、ほぼ間違いないと思います。ギラン・バレー症候群でしょう。検査をしてみないと確実な事は言えませんが。入院の手続きをとってください」と言われる。

「大丈夫、良くなる病気だからね。心配しないで」と言ってどっかに去っていった。

レントゲンと血液採取をしてから部屋に入る。おおっ、応接セットがある。

う~ん、豪華!いらないけどさ・・。

担当の看護婦さんがやってきて、いろいろと事情聴取。

「最後に今1番心配事はなんですか?」と聞かれたので

「5才の子供がいて自閉症です。なるべく早く家に帰りたいです」と言う。あと「ウチはこの部屋にいられるようなご身分ではないのでなるべく早く大部屋に移りたいです。毎日数万円払っているかと思うと心配で心配で・・・・」と言っておく。

 

後日談だが看護婦さんは「この人頭はしっかりしてるわ」と思ったらしい。

普通はそこまでのギャクは飛ばせないらしい(笑)・・・誉められてうれしいわん♪

夕方になると、ドカドカと先生たちが出たり入ったりし始める。午前中に診てもらったボスもやってきて「ひいろさん、この人たちがあなたの担当になるから」と紹介される。担当は3人いて、主治医と2人の担当医(男と女)がグループで診るのだそうだ。

ここからは主治医との会話


   主治医「免疫グロブリン治療を行うつもりです」
   ひいろ「あれっ、それって保険適用がまだなんじゃ?」
   先生「おりたんだよぉ、ところで詳しいね」
   ひいろ「主人がネットで調べてきてくれて・・」
   先生「そうじゃあ、いいかな?」
   ひいろ「はい。お願いします。」


ネットってやっぱ便利だわ。お互いの意志の疎通が早いこと(笑)

ここで主治医の名誉のために補足しますが、ちゃんとした説明は何度もありました。

ここの病院にきて「本当に珍しい病気」だという事がすぐ実感できた。だって先生方の見学の多いこと(笑)

主治医が診察しながら担当医たちに「君たち、ラッキーだったねぇ、ギラン・バレー経験できて」

先生たち、子犬のような目で私の顔をじーっと見つめて(顔面麻痺見てたんだな)

「はい!」・・・・う~ん、横縞のシャツ着たくなってきたぞ(笑)

 

担当医♂が「ごめんね。ちょっと多めに血とるからねぇ」と言う。実は私の血管は「細い、見えない、逃げる」という三拍子揃った医者泣かせの血管なのだ。それでやはり迷っていたら、他の先生が「鼠径から取っちゃえよ」と言う。

え゛っ、ソケイって確か

・・・そうです。来た初日に私は股から大量に血を抜かれたとです。

 

でも「この血から、どのウィルスの風邪のせいで発症したかまで調べる」というので

「へぇ、スゴイですねぇ。特定できるんですか?」と言うと「いや、大抵はわからない」あらら・・医学の進歩も積み重ねが大事って事なのね。それから2度目のルンバールをする。それでこの日は終了。

転院してきて、治療が決まり少しほっとしたせいもあったのだろう。この日の夜は長めに睡眠を取る事がてきた。といっても確か3時間くらいだったけど。

背中も相変わらず痛い。顔面麻痺もどんどん進行しているようだ。

 

発症7日目

昨日、実父が午前中に来るように先生に言われていたので実母と2人でくる。
先生たちがやってきて「髄液も血液もギランバレーの疑いがある数値がででたよ。グロブリンも使用できるから(出来ない体質の人もいるのだそうだ)予定通り今日からやる」との報告。

その前に両親にインフォームドコンセントが行われる。病気の説明と治療方針、グロブリンの副作用についてなど、とてもわかりやすく説明してくれた。

 

その中で印象的だった話が「この病気は一度発症すると、2週間程度はどんな治療を行っても進行し続けます。そして大抵は1番最初に現れた症状は最後まで残り、最後のほうに現れた症状から治っていく」という話。

それを聞いたとき私の頭の中に浮かんだのが「アマゾンの大逆流ポロロッカ」なんだな。神経を痛めつけながら身体中を荒らし回って一周したら良くなっていく

・・・・ホントに変わった病気だわ。

最後に実父に書類を書いてもらおうとしたら、実父が突然「オレは嫌だ!」と言い出す。本人何のために今日呼ばれたのか分かっていなかったようだ。

グロブリン血液製剤なので承諾書が必要なのだ。

実は主人を気遣っての発言だったのだが、仕事で病院に来れないから来てもらっているのに!説得してなんとか書かせる。

歳を取るとハンコを押すのに慎重になるらしい。

まったく病人に説得させないで欲しいんだけどな。

 

とにかく無事に治療がはじまる。

といっても単に点滴をするだけなので、特別何があるわけでもない。

主治医が「食事と水分には気をつけてね。できればあんまり食べて欲しくない」という。嚥下もどんどん悪くなってきているので喉につまらせたり、器官に入ったりという事が危険なのだ。お腹はへっているのは確かなのだか、実はもう既に食べる気力がなくなってきていたのでしばらく絶食状態になる。

 

唯一食べていたのは以前も登場したヴィダーinゼリー。主人は近所のスーパーで全部買い占めてきたらしい。これって薬を飲むのにもとっても便利。粉薬がダメな私はこれで混ぜて飲んでました。

1日目の治療が終了して先生たちがやってきて口々に「頭痛くない?気持ち悪くない?」と言う。かなりの確率で副作用として頭痛、発熱、嘔吐などがでるのだそうだ。私は全くなかったので「背中が痛いです」と答える(笑)

先生たち「この人は頭は大丈夫だなぁ」と言って笑う。ギラン・バレーの症状に意識の混濁などもあるようだ。私はそれは最初から全くなく、退院するまでいつも通りに

減らず口を叩いておりました。

それから「どっか変わった所は?」と言われて気がついた。

「ほよ?指かグーパーできる!」

治療を行う前は、手がパーする事が出来ず丸まったままでテレビのリモコンも指の関節で押していたのだが、たった1日の点滴で指で押せるようになったのだ。

これにはびっくりした。先生たちも「効いたみたいだねぇ」と嬉しそうだった。

先生の説明どおりに1番最後に症状がでた場所が良くなったのにも驚き。

・・という事は私の場合は、下唇と足が1番最後まで残るという事なんだなと理解する。

 

夜、主治医がひとりでやってきて「診察」をしてくれる。多分30分以上かかったとても丁寧な診察だった。この先生患者さんに対してはいっつもニコニコしているのだが、診察に入ると目が厳しくなる(笑)どちらかいうと学者肌の先生のような印象。初めて神経内科の診察を受けたのだが、反射棒などを使ったりして、麻痺をどれだけしているのかを数値にしていくようだ。見ていても素人にはよくわからない。

神経内科ってミステリアス~♪」

そういえば転院前の脳外科の先生が言ってたっけ。

「しびれ等があってCTなどて脳に損傷が見つかれば脳外科。なんにもでないとその時点で神経内科の領分になる。原因不明は全部神経内科だ」

脳外科の先生らしいわかりやすい講釈だな。ミステリアスなのも納得。

 

発症8~11日目(グロブリン治療2~5日)

 

1日目に指が動くようになってからは、別の箇所が劇的によくなったという記憶はない。ただ、足は少しずつ動くようなっていったのは事実だし、その他も少しずつよくなっていたのだと思う。副作用は後半発熱する。

あとこの病院の診察でわかったのだが、左側に目を動かすとモノが2重に見える事が判明(複視)。左の眼球も動いていないようだ。しかも左目はまぶたは全く閉じずに開いたまんまなので、目薬が処方され眼帯もつけているようにと言われる。

確かに眼帯をつけているほうが楽だった。

 

週に1度の回診があった。いわゆる「白い巨塔」だな・・ああっ、年がばれる(笑)

1日で指が動いたのでみんな「おおっ!」って感じだ。指動かすだけでびっくりされる体験は後にも先にもないと思う。

担当医3人が機械とともに入ってきて「ごめん。ちょっと痛い検査するからね」という。「私は痛いのは嫌いなんですけど」と一応断るが「ギラン・バレーになったからには、この検査からは逃げられないんだよ~。これから何度もやるからねぇ」と担当医♂に脅される(笑)

この検査が「末梢神経伝達速度」という検査だ。

電気を通して身体をどれくらいの時間で伝達されているのかを測定するらしい。

小学生の時に「カエルの実験」ってやった事あるでしょ?まさにアレです

・・もちろんイタイです、特に足が。

 

ギラン・バレーといっても症状は人によってかなり違うのだが、大まかに2つに分けられるらしい。「断線型」と「絶縁体破壊型」。断線型は神経の中まで入っていって麻痺させるのでなかなか厄介なのだが、絶縁破壊型は神経の外側だけを痛めつけるだけなので治りが早い事が多いのだそうだ。

実はこの検査の波形が、どっちの型かを判別する材料になるらしい。

「絶縁体破壊型っぽい波形がでているよ~。それに思ったよりは反応悪くないよ」と言われる。主治医は検査をしながら2人の担当医にレクチャーをしながら検査をしていく。しかも次の日は主治医ひとりでやってきて、またやったんだよ~。

入院中に4回以上はやったはず。
それ以外にも筋肉に針を差して電気を通すなんて検査もやると言われる(針筋電図)。

聞いただけで気が遠くなった私・・ああっ、やっぱ病院間違えたかしら?

 

先生たちが「写真とらせてぇ」とやってくる。顔面麻痺の状態をパチパチっと取られる。普通顔面麻痺を起こしている「女性」の写真とるかなぁ?

問題にならないのか?と思ったのだが・・

「あとで見せてあげるからねぇ」とか言ってるし。

どうやら私の性格読まれたのかもしれない。

「あれだけへらず口叩いているから大丈夫だよ」って。別にいいんですけどねぇ。

私は顔が「ウリ」の人間じゃないから。

事実その写真を見て私の言った言葉が「ばっ、化け物だぁ~!」

 

だって左目は開いたまんま、眼球は動かない、口は閉じない、左側のありとあらゆるしわがない。特にびっくりしたのがおでこのしわの左半分だけが奇麗にない!

私のおでこにはくっきりしたしわが3本あるのだ。

私はこのしわを気に入っていたのにぃ、ううっ。

「しわがないなんて羨ましい」なんて思った人もいるかもしれない。

でもしわのない顔ってとっても変です。しわってとっても大事。

本当にいろんな事を教えてくれる病気だこと。

そういえば個室に入って良かった事もあった。ベットに寝てる状態で髪を洗ってくれた。多分大部屋ではしてくれない。

実は入院した時髪の毛が肩から30センチ以上ある(忙しくて美容院に行ってなかったのだ)しかも私は髪の毛の量が多く太い。

シャンプーはとっても時間がかかるから、とても申し訳なかったのだけれど。

本当はそのまま

ジョキって切ってもらいたかったのだけれどね。

でもシャンプーしてもらうだけで全然気分が違った。とても嬉しかった。

 

発症12~18日

 

グロブリンの治療は終了。でもまだしばらくは点滴生活が続く。食事は気をつけながら摂ってもいいという許可がおりる。でももちろん普通食は無理なので、刻み食とおかゆにしてもらう。刻み食でもかなり気をつけないと喉で止まってしまう。

止まった時は元に戻して反芻して食べる、まるで牛だな。

 

でも日毎に食べられるようになってくる。

でも背中と足の激痛は続いているし、発熱も続いていた。しかも頭痛までやってきて、痛みはこのあたりが最悪な状態だったのかもしれない。その上グロブリンが終了した途端、待っていたのは「検査地獄」だった。

ほぼ毎日検査が入っていてしかも動けない状態で行う検査ばっかりで(MRI、神経伝達速度、脳波などなど)かなり辛い状態だった。

そんな時担当医2人がやってきて「座位(椅子にすわる状態)ができるかどうかちょっとやってみて」と言う。

実は先生たちが来る前に2時間近くかかったMRIから帰ってきたばっかりで、背中がとても痛く、しかも熱が38度以上もある最悪な状態だったのだ。

だから「調子が悪いので明日にしてもらえませんか?」と言ったのだか許してくれない(特に担当医♂)

ううっ、だから痛いって言ってるのに!

でもその時は、まだ私も本性あらわしていなかったので、心の中で「おに、悪魔!」と悪態をついて、元気になってからの復讐を誓うのであった。

「座位」は確か次の日にはどうにかできたと思う。確実によくなってきているという印象。

 

リハビリの先生がやってくる。こちらも診察と問診。神経内科とはまた違った視点で診察をしているようだ。リハビリの方針などは全てこの先生の指示で動くシステムらしい。「すぐに良くなる病気ではないので、あせらずにゆっくりやりましょう」と言われる。3日後からリハビリに通う事になる。

 

主治医がやってきて「数千円のベット空いたんだけど移る?」と言う。

「はい~♪お願いします」どうにか我が家は破産しないで済んだようだ。今度は4人部屋になる。この週の回診の時、主治医がMRIの写真を出して何だか説明している。

脊髄の写真にギラン・バレーの証拠とも言える角のような陰がはっきり写っていたのだそうだ。普通は写ってもうっすら陰がでる程度らしいのだか。

先生たちも「初めて見た」と言うくらいだからよほど珍しいのだろう。

・・だったらモデル料くらいほしいわん♪

リハビリに行くのにバジャマというのも変なので、部屋着を買ってきてもらって行くときにそれに着替えるようにした。

リハビリの一環にもなるから。最初はなかなか一人では大変だったがどうにか根性で着替えた。靴下が1番大変だった。



発症19日目

 

この日入院して初めて「シャワー」の許可がでる。点滴も終了という事になり、針もとってもらった。

もちろんひとりでは入れないので椅子に座って洗ってもらう。垢がこすってもこすっても出てくる(笑)

コレは1回の入浴ではとりきれないなと諦める。それでも久しぶりのシャワーだったからとてもさっぱりした。

身体もかなり良くなってきていて、ペットの端に座って食事ができるようになってきている。

リハビリにも行ってきたし、この日はすっごいルンルン気分だったのだ。

すると午後いつもはスマイリーな主治医が厳しい顔で入ってきて、突然カーデンを閉めて「ごめん~、白血球3000になっちゃった~。少しの間気をつけてねぇ」と言う。グロブリンの副作用だ。

素人の私にも3000っていうのは結構ヤパイ数値だという事がわかる。
「今風邪ひくと抵抗力がないから確実に肺炎になるからね。あと注射と抗生物質の投与をするから」という話。

という事は・・また点滴なのね。ああっ、短い幸せだったわ。


看護婦さんがやってきて「風邪ひいてる人は寄せつけちゃダメよぉ。あと気がついたらウガイをする事。マスクもちゃんとしててね」

・・ううっ、この日は今までで1番気分が良かったのにぃ。

 

発症20日~24日

 

隔離状態なのでリハビリには行けず。主人が「隔離」という言葉でびっくりして様子を見にくる。「なぁんだ、ガラスの部屋に入ってるのかと思った」と言い放ってすぐに帰っていく・・・・おいおい(笑)

問題の白血球は1日で10000に戻ったそうで、注射はもういいという事になる。抗生物質はもう少し続く。ただしそれ以降も不安定な数値ではあったようだ。リハビリは結局1日休んだだけで済む。

 

背中の痛いのもどんどん少なくなってくる。実は「温湿布」がとても効果があったみたいで湿布をするとかなり楽になった。

そんなある日、ふと気がつくと寝るときに「背中を丸めている」事に気づく。そうだ、私はこうやって寝てたんだと思い出した。

その日は「とっても幸せ~♪」だっだ。それから背中の痛みは嘘のようになくなった。

睡眠も3~4時間確実に寝られるようになってきた。

立ち上がればどうにか歩けるようになり、トイレも歩いていく許可がでた。

もちろん1人では行けないので看護婦さんを呼んで一緒に行ってもらう。

最初はトイレから立ち上がれなかったが、車椅子用のトイレで手すりがついているので

すぐに自分で立ち上がれるようになる。気分的にも楽になる。

ただし私は「ふともも」の力だけが極端に弱く、いつガクッと転ぶかわからない状況ではあった。

 

だかまた問題が・・白血球が落ち着いたと思ったら今度は「肝機能」の数値が少しずつ悪くなってきていたようだ。実はグロブリンの副作用で1番出やすいのが「肝機能障害」らしい。「このまま続くとなると注射をしなけれはいけなくなる」と予告が出る。

 

「大部屋空いたけど」と看護婦さんがやってくる。実は主人には「ここの部屋でもいいよ」と言ってくれて大部屋の希望は出してはいなかったのだか、何故か勧めてくれたのでお誘いをうける事にした。

数千円でもお金もったいないも~ん♪

今度は6人部屋。コレでもう引っ越しはないはずだ。

ギラン・バレー日記② 発症前から入院5日目まで

(2001.8.29記)

 

発症10日前


風邪をひく。セキがひどいタイプの風邪。熱はさほど出なかった。
市販の風邪薬を飲んですぐに治る。セキはすこし長引く。

 

発症2日前


息子の幼稚園のお餅つき大会の準備で午後に幼稚園に行く。仕事をしながらふと気がつくと下唇がしびれて変な感じ。痛くもないので気にもとめなかった。

 

発症前日


お餅つき大会当日。前日と同じく唇はしびれている。その上舌も少ししびれている事に気づく。その時は忙しかったので気にしていなかったのだが、後で思えば身体の動きも少し悪かった。足が重たくて1度階段を踏み外しそうになっている。

でもまだ「寝れば治る」と思っていた。

仕事が終わってから、16キロの息子をのせて自転車で帰る力はまだあった。

 

発症当日

 

いつものように朝起きようとしたら・・たっ、立ち上がれない!
どうにかつかまりながら立ち上がる。

でも何故か立ってしまうと意外に普通に動けるので朝ご飯の支度をし、息子のお弁当を作る。それからひと息つこうとして座ったらまた立てない。

腰が抜けたような感じという言葉がびったりの気がする(腰は抜かした事ないけどさ)

さすがにこれはおかしいと思いはじめた私は、息子のかかりつけの医院に予約を入れる。どこの病院に行っていいのがわからなかったので。

ここは個人病院なのだか先生が侮れない人だから、きっとどこかを紹介してくれるはずだと思った。

 

医院は歩いて数分、その日は小雨が降っていたので傘を杖がわりにして歩く。

マンションの階段を降りて少しふらふらするが歩いていった。

でも医院に入るのに階段を登ったとたん足を踏み外してこける

(主人がいたので大事には至らず)

そこに先生が出勤してきたので「先生、身体がへんなの~」と叫ぶ。

診察の結果「運動障害があるね。とにかく検査、入院になるから。それに内科をとばして脳外科に行くように」との話。

ゲッ、脳外科?それって結構ヤバイって事だなぁと漠然と感じる。

すると先生が「ところで○○病院と××大学病院、どっちにする?」といわれる。

○○病院は息子の入院でお世話になってる病院だ。

××大学病院も息子を最初に診断してくれた小児神経の先生がいる。

迷ったが「○○病院のほうが近いし、大学病院はねぇ」(笑)

という事で○○病院に決定する。

はたしてそれが吉とでるのか(笑)

 

○○病院に着いて初診だった私は書類を書かされる。でも手が震えていつものようには書けなかった。診察室に通され状況説明をする。

「とにかくCTをとってきて」と言われここで初めて車いすに乗らされる。

CTをとった帰りに看護婦さんにお願いしてトイレに寄ってもらう。

まだこの時点では、腰を少しあげてもらえれば移動する事もできた。

CTの結果はシロ。でも診察の結果、身体のほとんどが麻痺した状態。

足は歩く事はできるが座って上に上げようとすると上がらず。

足首は指もちゃんと動く。

手は震えがあるけど上げられるし、指もちゃんとグーパーできる。皮膚の感覚はあるのだか、手のひらと足の裏が特にじんじん痺れている。

右よりも左のほうの麻痺が強いようだ。

 

担当の先生は若い先生で「特に原因は見つからなかったけどこのまま帰すのもねぇ」という感じでいう。

しかも今満床で、数千円の個室しか空いてないらしい。実はこの日は金曜日で私はこの病院に息子を入院させているので知っているのだが、土日になると検査が全く止まってしまうのだ。だから入院しても「寝てるだけ」という事になる。

だから「いやだ、お金がもったいないから帰る」と一応ダダをこねてみた。

が、やはり「急変する可能性もあるから」と諭されておとなしく入院する事になる。

 

病室に連れていかれる前に血液検査と髄液検査(ルンバール)をする。
ルンバールは聞いた事はあるけど、もちろん初体験。

痛くはないけど「抜かれていく感じ」が何とも気持ちが悪い。

それから2時間安静。脊髄の近くで麻酔を使うので安静にしていないと頭痛などを引き起こすらしい。

その間に先生が主人を呼んで事情説明をしたらしい。

主人は何を血迷ったか自転車でくればいいのにわざわざタクシーで来たらしい。

「だって話しがありますからきてくださいって言われたから、早く来なくちゃいけないと思ってさ」

あの~、ここの病院周辺道路が混んでるから、自転車のほうが早いと思うのだが。

多少主人も舞い上がっていたのかもしれない。

 

それから病室に通される。ここの病院の大部屋はテレビは有料なのだが、
個室はタダで見れる。冷蔵庫もある。う~ん、リッチだ。

しばらくすると先生がやってきて、血液も髄液も何も出なかったとの報告。

「じゃあ、コレってなに?」って聞くと「う~ん、今のところは何とも

・・このまま治ってしまう事もあるし、進行する場合もある」という。

 

今のところは「点滴治療で様子を見る」という治療方針のようだ。

帰り際先生が「ごはん食べられるかなぁ?」と聞く。

そういえば朝からなんにも食べてないので腹ぺこだった。「食べます」と答えたが、いざ夕飯を食べようとしたら「ごはんが喉に入っていかない」

お腹はグーグーなってるのにぃ(笑)

それでも根性で何口かは食べたが、その日のうちに普通食は無理だと悟る。

 

自分では動けないのでトイレの時にはナースコールを押す。

昼間は腰をあげてもらえれば立ち上がれたので起きてトイレにいく。

しかし、ベットからトイレに行く時は立てたのだけれどトイレから戻ろうとしたら立ち上がれない。看護婦さんに抱えられてどうにかベットに戻る。

この日からしばらくペットから全く起き上がれない「要介護」状態になる。

 

「なんかスゴイ一日だったなぁ」とか思いながら、この時点でも私の気持ちはまだ脳天気だった。多分私だけかもしれないのだけど「自分の身体が動かない」という感じは、とっても不思議な感覚なのだ。

しかも突然だからなおさらなのだろう。

脳が指示する動きを身体がしないのだから、もっともだと思うのだが。

「へんなの~」とか独り言を言いながら笑っていた事を覚えてる。

だか「考えても仕方ないから、はよ寝よ~」と思って寝たのだか…

 

ねっ、寝れない!30分くらいでおきてしまう。

人って寝返りを打てないと熟睡できない事を初めて知った。

そして怒濤の1日目か終わった。

 

発症2~3日


なんにもする事がないのでつまらない!

でも睡眠が充分にとれていないので、たまにウトウトと寝る。昼間はそれでも1~2時間くらいは寝れたような気がする。

夜寝れないのは気分の問題もあったのかもしれない。

ずっとあおむけだと疲れるので寝返りを打ちたいのたが、これがなかなかの重労働。

腕をベットの柵にひっかけて身体を動かす。

しばらくするとまたあおむけに戻るという事を繰り返す。

足は木の棒のように全く動かない。

 

最初は結構それでも根性で寝返りを打っていたのだが、しばらくすると何故だか背中が痛くなってくる。ちょうどいつも肩がこった時に痛くなる場所だ。

私は腕を使いすぎて「肩こった?」なんて思っていた。

後でわかった事だがこれはギラン・バレーになった人のほとんとが体験する事らしい。

とにかく背中の痛みはどんどんひどくなる。

でも寝返りをしたいのだがうまくできない。

ところで寝返りをうつ時、かぶっているふとんってどうしてると思います?

実は動く時無意識にふとんを持ち上げて寝返りをうっているハズ

(良くなってから実験した)

でもこの時の状態はふとんをふわっとさせる力すらない。

・・という事は寝返りをうっていると、ふとんが体中に巻きついてきてミイラ化するんだな(笑)

そうなると、看護婦さんに頼むしかない。

 

普通食が取れないので「ペースト食」に変わる。いわゆる3ヶ月の子供の離乳食だ。

震える手で息子のスプーンを使いどうにか食べる。

お腹がすいているので、結構おいしかったりした。

それと主人に「ヴィダーinゼリー」を買ってきてもらう。コレなら自分でも飲めるし、スルっと入っていく。

あとはヨーグルトとかゼリーとか、のどごしのよいモノを買ってきてもらう。

人によっては味覚障害が起きる事もあるそうなのだが、私は最後まで大丈夫だった。

でもどんどん背中の痛みがひどくなっていく。

そうするとベットの頭を上げて(CMでおなじみパラマウントベッド)、食事をしようとすると背中に激痛が走るのだ。

食事を横に持ってきてもらって頭を少しあげて食事を摂る。

 

息子の担当の保母さん、ゆうゆう先生がお見舞いにきてくれる。いろいろと話していると左目から涙がポロリ。別に哀しかった訳でもないのになんでだろ?

感情もコントロールできなくなっているのかな?と思った。

きっと保母さんは私が泣いたと勘違いして帰ったに違いない。

う~ん、困った、そんなキャラじゃないのにぃ(笑)

 

今思うと、この日くらいから顔面麻痺がはじまっていたようだ。

目が閉じられなくなってきているので涙がでるのだ。

ろれつも回らなくなり、気をつけていないと口に入れたモノがだらだらっと出てきてしまう。左側の口が閉じないのだ。

 

全く動けないからもちろんトイレには行けない。おしっこをしたい時は看護婦に尿器を持ってきてもらう。最初は力の入れ具合がわからずにとまどうが結構すぐに慣れる。
普通の人はトイレに行けないというストレスはかなりのものだと思うが、私の場合突然身体が動かなくなってしまったのでこの時点では特に抵抗感はなかった。

 

ところで私はトイレの回数がとても少ない体質で日に3~4回くらいしか行かない。

しかし点滴治療をしているのでその分は多少多くなる。それは自分自身でも理解はしていたのだが、トイレに行きたいと思った時に看護婦さんをよんでも間に合わないという事が起きる。

実はコレもギラン・バレーの症状のひとつで

「尿意をしたいと思った時には間に合わない、逆にたまっているのがわからない、たまっていても出ない」(これも麻痺によるものらしい)という状態だったようだ。

 

しばらくすると看護婦さんがやってきてアソコに管を入れられた。寝たきり老人につけるヤツだ。コレがとにかくものすごく気持ちが悪い!

いつでもおしっこをしている状態なのだから当たり前だ。

さすがにこれは堪えられないと思い看護婦さんを呼んでとってもらうように頼む。

すると「先生の指示がないと・・」というので

「このままでは気持ちが悪くってご飯も食べられません」(ちょっと脅し)と哀願する(笑)

しばらくしたら脅しがきいたのが看護婦さんが外しにきてくれた。・・助かった。

頭がしっかりしているご老人がコレをつけられたらかなりショックだと思う。

そりゃあ看護婦さんたちは大変かもしれないけどさ、人によっては人格ゆがむと思うよ。なんとかならないのかな?

 

発症4日目


MRIの検査をする。背中が痛いので痛み止めを使ってどうにかやり過ごす。麻痺はいたるところで進行しているようだった。もちろん背中は超激痛。このあたりから、何故か手のひらと足の裏がじんじんするのは少し良くなってくる。

 

担当医がやってくる。MRIは思った通り異常なし。「3日間様子をみたが、病気はどんどん進行しています。よってギラン・バレー症候群の疑いがあります。この病気は単純血漿交換療法という治療法が効果的ですがこの病院では行えません。しかるべき施設のある神経内科の病院へ『一刻も早く』転院するようにして下さい」

ここで初めて「ギラン・バレー症候群」という名前がでできた。担当医のほうで転院先を探してくれるという話だ。

 

入院期間は多分2ヶ月くらいになるという話。長期入院になる。という事はいくら完全看護とはいえ病院に通う人が必要になる。

主人だけではとても無理だ。私の両親にも協力してもらう事になるだろう。

だが私の住んでいるところは東京で、実家は横浜にある。私の両親が病院に通うとするとかなり大変だ。それならいっそのこと横浜で病院を探したらという話が飛び出す。

しばらくしてまた担当医がやってきて転院先の病院の予約が取れたという話。

だが「あさってカルテだけを持ってご主人が1度病院にいってくれ」という事。

予約があさってなら、あと1日あるから横浜の病院を探してみる時間はある。

そこの病院に一応予約を入れてもらって明日いっぱい病院を探す手筈になった。

 

発症5日目 


両親がやってくる。横浜の病院探しは駄目だったようだ。べットは満床。

それに聞いた話によると「東京から神奈川に転院するのはタブー」なのだそうだ。

東京と神奈川は犬猿の仲だから、いろんな暗黙のルールがあるらしい(怒)

でもそうなると紹介してくれた病院に決定だなと思っていたら、主人が電話で

「☆☆大学病院にあたっているから待て」と言う。

実は息子の体調が悪く、前出の息子のかかりつけ医に連れていった際に病院の事を相談したら「ギラン・バレーなら大学病院を探しなさい。確か☆☆大学病院でギラン・バレーの治療ができるはずだから」とアドバイスを受けたらしい。それで主人が直接☆☆大学病院に電話したら「そういった事は現在入院している担当医の方に電話をしてもらって下さい」と言われ、担当医のほうから大学病院に電話をお願いしてもらっていたようだ。

夕方主人がやってくる。前日にネットでギラン・バレーについて調べてきたらしい。

以下がその時の夫婦の会話。


主人「大丈夫!めったな事では死なないらしいから。突然呼吸が止まるのが1番危険らしいから、止まりそうになったらナースコールを押せ!」


私「ねぇ、呼吸が止まった状態でどうやってナースコールも押せっていうのよ」


主人「それからほとんどが完治する病気らしい。ただし何らかの障害が残るのが20%」

 

私「ふん、障害なんて言葉、恐くなんかないわさ!」


主人「10万人にひとりしかかからない珍しい病気らしいぞ。難病のリストに入ってた」

 

私「10万人にひとり?ねぇ、それって宝くじが当たる確率と同じじゃん。なんで宝くじ当たらないでこんな病気にあたるかなぁ(笑)」


主人「しっかし、かあちゃんは運が悪いわ。実は血漿交換療法と同じ効果があって副作用もすくないグロブリン治療ってのがあと数ヶ月で保険適用になるらしいぞ。残念だったなぁ」


血漿交換療法というのは人工透析のように:血漿を交換していく方法で結構大変らしい。

変だなぁ、私は運がいいので有名なんだけどな?
ウチの夫婦の会話はいつもこんなんです。

別に漫才やってるわけではありません。

 

担当医が☆☆大学病院に電話をかけてくれた結果「明日本人を連れて○○先生のところに来てください。ただしベットは、ほぼ満床なので数万円の個室しかないです」

主人、開口一番「貧乏人の足元みやがって!」(笑)

でもここの病院は私を連れてきてくれといっているし、しかも高いけどベットまで一応確保してくれているようだ。それに比べて担当医が紹介してくれた病院は、いつ転院できるのかは不明だ。担当医の言った「一刻も早く」という言葉と、かかりつけ医の助言もあったので「☆☆大学病院」に決める。

 

「あ゛~、今回は大学病院からは逃げられないのね」ちょっと気分が暗くなる。

さて、転院が決まったのはいいのだけれど、身体の動かない私をどうやって搬送するか?自家用車で行けたらいいのだけれど、行けるのだろうかと不安になる。

看護婦さんに相談したら「じゃあ、車椅子に乗る練習してみよう」という事になった。ベットから動くのは5日振りだ。起きあがったらかなりくらくらした。

足の裏も立ってみたらまだ痺れていてじんじんする。

しかも首がすわらない事が判明。

椅子に座っていると頭が後ろにガクっといってしまう。ありとあらゆるところがやられる病気なのだ。

 

この日あたりから足まで痛くなってくる。丁度つった時のような感じだ。

指にも力がはいらなくなりパーの状態ができなくなった。指が丸まった状態になる。

ギラン・バレー日記①

(2001.8.29記)

 

この日記は私「ひいろ」が体験した「ギラン・バレー症候群」の体験記録です。
ギラン・バレー症候群という病気は、神経内科の病気の中ではとても予後のいい範疇に入る病気なのだそうです。 

でも重症の場合は呼吸が止まり命を落とす危険もある病気だし、障害が残り不自由な生活をされている方がいらっしゃるのも事実なのです。

 

詳しい病気の説明は

www.hosp.hyo-med.ac.jp

 

他のページを見ていいたたけばおわかりになると思いますが、うちの子供は自閉症
2年前に障害の告知を受けました。自分の子供が障害児と宣告されるというのは、かなりなショックであるのはご想像いただけると思います。私もそうでした。
ただし私の場合は立ち直りがとても早く、しかもそれ以降の私は「世の中に恐いモノがなんてないわさ。矢でも鉄砲でも持ってこい」状態に変貌してしまったのです。

 

その上、根がお気楽でお笑い好きな性格なので、書きおわって読み返してみると

「あまりにも軽~い文章」になっていまして。

コレはどうしようかと迷ったのですが、重厚な文章が書く腕もないのでそのまま載せちゃう事にしました。

 

ですからお気楽な文面だけを見て

 

ギラン・バレー症候群って大した病気じゃないんだ」

 

とは決して思わないで下さい。

私は命に関わるような事はなかったし、2ヶ月ほどて退院できたのでラッキーだったのだと思います。でも現在も通院中ですしリハビリにも通っています。
障害が残る可能性もまだ残っているのです。よろしくお願いいたします。


最後にこの場を借りて、今回の入院でお世話になった全ての人達に感謝いたします。ありがとうございました。 

 

要塞屋敷へようこそ!2005@賃貸版

(2005.10.8記)

 

壁には貼れない!

 

 

 

 

賃貸なので、壁に傷はつけられません・・・・という事で。

ホームセンターに売っていた、ブラスチック段ボールという商品に
以前から使用していた100均のホワイトボードをはりつけました。

左は、シートタイプの鏡です。これも以前から使用していました。

 

上の固定は、かもいにひっかけるフックを利用
下の固定は、畳の隅に金具を差し込んであります。

 

やっぱ無理か〜1

 

 

台所の入り口をレンジで封鎖っ!
これは元々考えていたアイディアではなかったのですが、見事にピッタリとオーブンレンジがハマったので「これはいい~っ!」と思っていたのですが。

 

確かに最初は良かったです。
でも慣れてきたら、そのうちよじ登り、ちゃっかり中に入ってた息子
・・・・・・まだ登るんかい~っ!!

 

最近はずいぶん落ち着いてきていたので、「入ってはいけない」という事さえ理解できれば大丈夫だと思ってたのですが。

どうやら考えが甘かったようです。

やっぱ無理か〜2

 


以前から利用しているテンションラックを、そのまま利用。
購入時の思惑通り、引っ越し先でそのまま使用できるので 、とっても便利でした。

ただ、今回は息子がいつでも中を見れる場所に設置したので
やっばの中のものをひっぱり出してしまい、これも玉砕。

 

で↓

 

やっぱり、扉付きになっちゃうのよねぇ(笑)

扉は、カード用に設置したものと同じ素材。
ペラペラですぐに壊れそうですが、閉まっていると反応しないのが息子の特徴なので

問題はないようです。

 

お立ち台?

 

備えつけの洗面台から、洗濯機のほうに移動・・・そして踊るっ!
やめてくれーっと頼んでも楽しいらしいので、主人、ここにも扉をつけました。

手を洗う時には、いちいち鍵を開けなきゃいけないので面倒。
でも大人は上から、手を洗う事ができますけどね。

 

後々の事を考えて

 

 

棚板が1ヶ所しか入っていない収納スペース
そのまま利用するのには、使い勝手が悪いので、突っ張り棚とか
サイズに合った収納グッズを、購入するのが良いのですが。

 

でもここの部屋は賃貸。
2年程度でまた引っ越しのつもりなので、あまり利用しないものは398円の折りたたみカゴにガンガン入れて、積み上げていく方法にしました。


下の物を出すのには、上から動かさなければいけないので少々面倒ですが、簡単に分類分けが出来るのでお目当てのものを見つけるのは簡単です。
何よりも、たくさんのものがしまえます~♪

ちなみに中身は、洗剤の在庫や、あまり使用しないキッチングッズなど。
上に置いてある小さなカゴには、よく利用する石鹸、歯磨き粉
入浴剤などの在庫を入れています。

 

お風呂センサー

 

 

お風呂で水遊びをしていると、おもむろに母を呼び、身体も拭かずに出てくる息子。
もちろん廊下が水でびしょびしょになってしまいます。

 

という事で、お風呂にセンサーがつきました。扉が開くと、音が鳴るタイプです。
本当は息子が母を呼ぶ時に、呼び鈴のようなものを置いて母を呼ぶのが理想的なのですが、お風呂なので、常時置いておける良い場所もなかったので。

今のところは、音が鳴ると、母がすぐに様子を見に行くので、そこらじゅうがびしょびしょになる事になくなりました。
息子も母を呼んでるという意識はあるらしく、顔を出して「身体洗うから来て~」という感じの意思表示をするようになりました。

 

 

引っ越ししたらやりたかったこと

 

引っ越ししたら買おうと思ってたハンモックを購入(ホームセンターで2000円)
寝室の2段ベットに設置しました。

 

息子は昔っから揺れモノを極端に怖がる子でした。でも、それは嫌いという事だけではなく、慣れないというのも原因じゃないかと思っていました。
なので小さい時から、できるだけそういった環境に連れていくようにはしていましたが
やはり人が多い場所などでは、なかなかやろうという気にはならない事も多かったです。
だからできるだけ自宅にそういったものを設置したいと思ってはいたのですが
前の部屋では、ポールプールやダイエットボールが限度だったのです。
でも今度引っ越した部屋は、寝室が6畳(前は4畳半だった)で、何よりも1階なので、安心~♪

とにかく最初は乗る事自体嫌がらないようにと、完全に足がつく、ほんのちょっと浮いてるくらいの状態で設置。
そして息子に見せたら、何の躊躇もなく、乗りました。
でも・・・・・・何故かタテノリ~!!

ハンモックをタテノリなんて、初めて見たわさー。


もちろん足は、しっかりとついてます。

あまりの面白さに母、笑い転げてしまいました。
でもまあ、とっても喜んでるようなので、いいか。

 

ハンモックは気に入ったようで、自分から乗りにいっています。
ただ、お安いタイプのもの(大きな網状のもの)なので、バランスがとりにくかったら
毛布などで少し安定させようかと思ってたのですが、網に足をひっかけたりしているので
このままで少し様子をみようと思っています。