ギラン・バレー日記③ 入院6日目から24日目

(2001.8.29記)

 

発症6日目

 

転院の日。主人が車で迎えにきてくれる。車に乗るのは看護婦さんが手伝ってくれて大丈夫だった。シートを1番後ろまで倒して、どうにか無事に病院に到着できた。
大学病院でも看護婦さんがすぐ車いすを持って迎えにきてくれて診察室に通された。
名前を聞いていた先生が、私を見て簡単に診察する。

どうやらこの先生が神経内科のボスのようだ。

 

「うん、ほぼ間違いないと思います。ギラン・バレー症候群でしょう。検査をしてみないと確実な事は言えませんが。入院の手続きをとってください」と言われる。

「大丈夫、良くなる病気だからね。心配しないで」と言ってどっかに去っていった。

レントゲンと血液採取をしてから部屋に入る。おおっ、応接セットがある。

う~ん、豪華!いらないけどさ・・。

担当の看護婦さんがやってきて、いろいろと事情聴取。

「最後に今1番心配事はなんですか?」と聞かれたので

「5才の子供がいて自閉症です。なるべく早く家に帰りたいです」と言う。あと「ウチはこの部屋にいられるようなご身分ではないのでなるべく早く大部屋に移りたいです。毎日数万円払っているかと思うと心配で心配で・・・・」と言っておく。

 

後日談だが看護婦さんは「この人頭はしっかりしてるわ」と思ったらしい。

普通はそこまでのギャクは飛ばせないらしい(笑)・・・誉められてうれしいわん♪

夕方になると、ドカドカと先生たちが出たり入ったりし始める。午前中に診てもらったボスもやってきて「ひいろさん、この人たちがあなたの担当になるから」と紹介される。担当は3人いて、主治医と2人の担当医(男と女)がグループで診るのだそうだ。

ここからは主治医との会話


   主治医「免疫グロブリン治療を行うつもりです」
   ひいろ「あれっ、それって保険適用がまだなんじゃ?」
   先生「おりたんだよぉ、ところで詳しいね」
   ひいろ「主人がネットで調べてきてくれて・・」
   先生「そうじゃあ、いいかな?」
   ひいろ「はい。お願いします。」


ネットってやっぱ便利だわ。お互いの意志の疎通が早いこと(笑)

ここで主治医の名誉のために補足しますが、ちゃんとした説明は何度もありました。

ここの病院にきて「本当に珍しい病気」だという事がすぐ実感できた。だって先生方の見学の多いこと(笑)

主治医が診察しながら担当医たちに「君たち、ラッキーだったねぇ、ギラン・バレー経験できて」

先生たち、子犬のような目で私の顔をじーっと見つめて(顔面麻痺見てたんだな)

「はい!」・・・・う~ん、横縞のシャツ着たくなってきたぞ(笑)

 

担当医♂が「ごめんね。ちょっと多めに血とるからねぇ」と言う。実は私の血管は「細い、見えない、逃げる」という三拍子揃った医者泣かせの血管なのだ。それでやはり迷っていたら、他の先生が「鼠径から取っちゃえよ」と言う。

え゛っ、ソケイって確か

・・・そうです。来た初日に私は股から大量に血を抜かれたとです。

 

でも「この血から、どのウィルスの風邪のせいで発症したかまで調べる」というので

「へぇ、スゴイですねぇ。特定できるんですか?」と言うと「いや、大抵はわからない」あらら・・医学の進歩も積み重ねが大事って事なのね。それから2度目のルンバールをする。それでこの日は終了。

転院してきて、治療が決まり少しほっとしたせいもあったのだろう。この日の夜は長めに睡眠を取る事がてきた。といっても確か3時間くらいだったけど。

背中も相変わらず痛い。顔面麻痺もどんどん進行しているようだ。

 

発症7日目

昨日、実父が午前中に来るように先生に言われていたので実母と2人でくる。
先生たちがやってきて「髄液も血液もギランバレーの疑いがある数値がででたよ。グロブリンも使用できるから(出来ない体質の人もいるのだそうだ)予定通り今日からやる」との報告。

その前に両親にインフォームドコンセントが行われる。病気の説明と治療方針、グロブリンの副作用についてなど、とてもわかりやすく説明してくれた。

 

その中で印象的だった話が「この病気は一度発症すると、2週間程度はどんな治療を行っても進行し続けます。そして大抵は1番最初に現れた症状は最後まで残り、最後のほうに現れた症状から治っていく」という話。

それを聞いたとき私の頭の中に浮かんだのが「アマゾンの大逆流ポロロッカ」なんだな。神経を痛めつけながら身体中を荒らし回って一周したら良くなっていく

・・・・ホントに変わった病気だわ。

最後に実父に書類を書いてもらおうとしたら、実父が突然「オレは嫌だ!」と言い出す。本人何のために今日呼ばれたのか分かっていなかったようだ。

グロブリン血液製剤なので承諾書が必要なのだ。

実は主人を気遣っての発言だったのだが、仕事で病院に来れないから来てもらっているのに!説得してなんとか書かせる。

歳を取るとハンコを押すのに慎重になるらしい。

まったく病人に説得させないで欲しいんだけどな。

 

とにかく無事に治療がはじまる。

といっても単に点滴をするだけなので、特別何があるわけでもない。

主治医が「食事と水分には気をつけてね。できればあんまり食べて欲しくない」という。嚥下もどんどん悪くなってきているので喉につまらせたり、器官に入ったりという事が危険なのだ。お腹はへっているのは確かなのだか、実はもう既に食べる気力がなくなってきていたのでしばらく絶食状態になる。

 

唯一食べていたのは以前も登場したヴィダーinゼリー。主人は近所のスーパーで全部買い占めてきたらしい。これって薬を飲むのにもとっても便利。粉薬がダメな私はこれで混ぜて飲んでました。

1日目の治療が終了して先生たちがやってきて口々に「頭痛くない?気持ち悪くない?」と言う。かなりの確率で副作用として頭痛、発熱、嘔吐などがでるのだそうだ。私は全くなかったので「背中が痛いです」と答える(笑)

先生たち「この人は頭は大丈夫だなぁ」と言って笑う。ギラン・バレーの症状に意識の混濁などもあるようだ。私はそれは最初から全くなく、退院するまでいつも通りに

減らず口を叩いておりました。

それから「どっか変わった所は?」と言われて気がついた。

「ほよ?指かグーパーできる!」

治療を行う前は、手がパーする事が出来ず丸まったままでテレビのリモコンも指の関節で押していたのだが、たった1日の点滴で指で押せるようになったのだ。

これにはびっくりした。先生たちも「効いたみたいだねぇ」と嬉しそうだった。

先生の説明どおりに1番最後に症状がでた場所が良くなったのにも驚き。

・・という事は私の場合は、下唇と足が1番最後まで残るという事なんだなと理解する。

 

夜、主治医がひとりでやってきて「診察」をしてくれる。多分30分以上かかったとても丁寧な診察だった。この先生患者さんに対してはいっつもニコニコしているのだが、診察に入ると目が厳しくなる(笑)どちらかいうと学者肌の先生のような印象。初めて神経内科の診察を受けたのだが、反射棒などを使ったりして、麻痺をどれだけしているのかを数値にしていくようだ。見ていても素人にはよくわからない。

神経内科ってミステリアス~♪」

そういえば転院前の脳外科の先生が言ってたっけ。

「しびれ等があってCTなどて脳に損傷が見つかれば脳外科。なんにもでないとその時点で神経内科の領分になる。原因不明は全部神経内科だ」

脳外科の先生らしいわかりやすい講釈だな。ミステリアスなのも納得。

 

発症8~11日目(グロブリン治療2~5日)

 

1日目に指が動くようになってからは、別の箇所が劇的によくなったという記憶はない。ただ、足は少しずつ動くようなっていったのは事実だし、その他も少しずつよくなっていたのだと思う。副作用は後半発熱する。

あとこの病院の診察でわかったのだが、左側に目を動かすとモノが2重に見える事が判明(複視)。左の眼球も動いていないようだ。しかも左目はまぶたは全く閉じずに開いたまんまなので、目薬が処方され眼帯もつけているようにと言われる。

確かに眼帯をつけているほうが楽だった。

 

週に1度の回診があった。いわゆる「白い巨塔」だな・・ああっ、年がばれる(笑)

1日で指が動いたのでみんな「おおっ!」って感じだ。指動かすだけでびっくりされる体験は後にも先にもないと思う。

担当医3人が機械とともに入ってきて「ごめん。ちょっと痛い検査するからね」という。「私は痛いのは嫌いなんですけど」と一応断るが「ギラン・バレーになったからには、この検査からは逃げられないんだよ~。これから何度もやるからねぇ」と担当医♂に脅される(笑)

この検査が「末梢神経伝達速度」という検査だ。

電気を通して身体をどれくらいの時間で伝達されているのかを測定するらしい。

小学生の時に「カエルの実験」ってやった事あるでしょ?まさにアレです

・・もちろんイタイです、特に足が。

 

ギラン・バレーといっても症状は人によってかなり違うのだが、大まかに2つに分けられるらしい。「断線型」と「絶縁体破壊型」。断線型は神経の中まで入っていって麻痺させるのでなかなか厄介なのだが、絶縁破壊型は神経の外側だけを痛めつけるだけなので治りが早い事が多いのだそうだ。

実はこの検査の波形が、どっちの型かを判別する材料になるらしい。

「絶縁体破壊型っぽい波形がでているよ~。それに思ったよりは反応悪くないよ」と言われる。主治医は検査をしながら2人の担当医にレクチャーをしながら検査をしていく。しかも次の日は主治医ひとりでやってきて、またやったんだよ~。

入院中に4回以上はやったはず。
それ以外にも筋肉に針を差して電気を通すなんて検査もやると言われる(針筋電図)。

聞いただけで気が遠くなった私・・ああっ、やっぱ病院間違えたかしら?

 

先生たちが「写真とらせてぇ」とやってくる。顔面麻痺の状態をパチパチっと取られる。普通顔面麻痺を起こしている「女性」の写真とるかなぁ?

問題にならないのか?と思ったのだが・・

「あとで見せてあげるからねぇ」とか言ってるし。

どうやら私の性格読まれたのかもしれない。

「あれだけへらず口叩いているから大丈夫だよ」って。別にいいんですけどねぇ。

私は顔が「ウリ」の人間じゃないから。

事実その写真を見て私の言った言葉が「ばっ、化け物だぁ~!」

 

だって左目は開いたまんま、眼球は動かない、口は閉じない、左側のありとあらゆるしわがない。特にびっくりしたのがおでこのしわの左半分だけが奇麗にない!

私のおでこにはくっきりしたしわが3本あるのだ。

私はこのしわを気に入っていたのにぃ、ううっ。

「しわがないなんて羨ましい」なんて思った人もいるかもしれない。

でもしわのない顔ってとっても変です。しわってとっても大事。

本当にいろんな事を教えてくれる病気だこと。

そういえば個室に入って良かった事もあった。ベットに寝てる状態で髪を洗ってくれた。多分大部屋ではしてくれない。

実は入院した時髪の毛が肩から30センチ以上ある(忙しくて美容院に行ってなかったのだ)しかも私は髪の毛の量が多く太い。

シャンプーはとっても時間がかかるから、とても申し訳なかったのだけれど。

本当はそのまま

ジョキって切ってもらいたかったのだけれどね。

でもシャンプーしてもらうだけで全然気分が違った。とても嬉しかった。

 

発症12~18日

 

グロブリンの治療は終了。でもまだしばらくは点滴生活が続く。食事は気をつけながら摂ってもいいという許可がおりる。でももちろん普通食は無理なので、刻み食とおかゆにしてもらう。刻み食でもかなり気をつけないと喉で止まってしまう。

止まった時は元に戻して反芻して食べる、まるで牛だな。

 

でも日毎に食べられるようになってくる。

でも背中と足の激痛は続いているし、発熱も続いていた。しかも頭痛までやってきて、痛みはこのあたりが最悪な状態だったのかもしれない。その上グロブリンが終了した途端、待っていたのは「検査地獄」だった。

ほぼ毎日検査が入っていてしかも動けない状態で行う検査ばっかりで(MRI、神経伝達速度、脳波などなど)かなり辛い状態だった。

そんな時担当医2人がやってきて「座位(椅子にすわる状態)ができるかどうかちょっとやってみて」と言う。

実は先生たちが来る前に2時間近くかかったMRIから帰ってきたばっかりで、背中がとても痛く、しかも熱が38度以上もある最悪な状態だったのだ。

だから「調子が悪いので明日にしてもらえませんか?」と言ったのだか許してくれない(特に担当医♂)

ううっ、だから痛いって言ってるのに!

でもその時は、まだ私も本性あらわしていなかったので、心の中で「おに、悪魔!」と悪態をついて、元気になってからの復讐を誓うのであった。

「座位」は確か次の日にはどうにかできたと思う。確実によくなってきているという印象。

 

リハビリの先生がやってくる。こちらも診察と問診。神経内科とはまた違った視点で診察をしているようだ。リハビリの方針などは全てこの先生の指示で動くシステムらしい。「すぐに良くなる病気ではないので、あせらずにゆっくりやりましょう」と言われる。3日後からリハビリに通う事になる。

 

主治医がやってきて「数千円のベット空いたんだけど移る?」と言う。

「はい~♪お願いします」どうにか我が家は破産しないで済んだようだ。今度は4人部屋になる。この週の回診の時、主治医がMRIの写真を出して何だか説明している。

脊髄の写真にギラン・バレーの証拠とも言える角のような陰がはっきり写っていたのだそうだ。普通は写ってもうっすら陰がでる程度らしいのだか。

先生たちも「初めて見た」と言うくらいだからよほど珍しいのだろう。

・・だったらモデル料くらいほしいわん♪

リハビリに行くのにバジャマというのも変なので、部屋着を買ってきてもらって行くときにそれに着替えるようにした。

リハビリの一環にもなるから。最初はなかなか一人では大変だったがどうにか根性で着替えた。靴下が1番大変だった。



発症19日目

 

この日入院して初めて「シャワー」の許可がでる。点滴も終了という事になり、針もとってもらった。

もちろんひとりでは入れないので椅子に座って洗ってもらう。垢がこすってもこすっても出てくる(笑)

コレは1回の入浴ではとりきれないなと諦める。それでも久しぶりのシャワーだったからとてもさっぱりした。

身体もかなり良くなってきていて、ペットの端に座って食事ができるようになってきている。

リハビリにも行ってきたし、この日はすっごいルンルン気分だったのだ。

すると午後いつもはスマイリーな主治医が厳しい顔で入ってきて、突然カーデンを閉めて「ごめん~、白血球3000になっちゃった~。少しの間気をつけてねぇ」と言う。グロブリンの副作用だ。

素人の私にも3000っていうのは結構ヤパイ数値だという事がわかる。
「今風邪ひくと抵抗力がないから確実に肺炎になるからね。あと注射と抗生物質の投与をするから」という話。

という事は・・また点滴なのね。ああっ、短い幸せだったわ。


看護婦さんがやってきて「風邪ひいてる人は寄せつけちゃダメよぉ。あと気がついたらウガイをする事。マスクもちゃんとしててね」

・・ううっ、この日は今までで1番気分が良かったのにぃ。

 

発症20日~24日

 

隔離状態なのでリハビリには行けず。主人が「隔離」という言葉でびっくりして様子を見にくる。「なぁんだ、ガラスの部屋に入ってるのかと思った」と言い放ってすぐに帰っていく・・・・おいおい(笑)

問題の白血球は1日で10000に戻ったそうで、注射はもういいという事になる。抗生物質はもう少し続く。ただしそれ以降も不安定な数値ではあったようだ。リハビリは結局1日休んだだけで済む。

 

背中の痛いのもどんどん少なくなってくる。実は「温湿布」がとても効果があったみたいで湿布をするとかなり楽になった。

そんなある日、ふと気がつくと寝るときに「背中を丸めている」事に気づく。そうだ、私はこうやって寝てたんだと思い出した。

その日は「とっても幸せ~♪」だっだ。それから背中の痛みは嘘のようになくなった。

睡眠も3~4時間確実に寝られるようになってきた。

立ち上がればどうにか歩けるようになり、トイレも歩いていく許可がでた。

もちろん1人では行けないので看護婦さんを呼んで一緒に行ってもらう。

最初はトイレから立ち上がれなかったが、車椅子用のトイレで手すりがついているので

すぐに自分で立ち上がれるようになる。気分的にも楽になる。

ただし私は「ふともも」の力だけが極端に弱く、いつガクッと転ぶかわからない状況ではあった。

 

だかまた問題が・・白血球が落ち着いたと思ったら今度は「肝機能」の数値が少しずつ悪くなってきていたようだ。実はグロブリンの副作用で1番出やすいのが「肝機能障害」らしい。「このまま続くとなると注射をしなけれはいけなくなる」と予告が出る。

 

「大部屋空いたけど」と看護婦さんがやってくる。実は主人には「ここの部屋でもいいよ」と言ってくれて大部屋の希望は出してはいなかったのだか、何故か勧めてくれたのでお誘いをうける事にした。

数千円でもお金もったいないも~ん♪

今度は6人部屋。コレでもう引っ越しはないはずだ。