ドラ&ドラパパの クレイマー・クレイマー日記①

(2001.8.29記)

 

自閉症児が2ヶ月間、突然母と離れて暮らした記録です。

 

1日目

普段通りに幼稚園に登園する。午後私の入院が決まったので、幼稚園に電話して急遽5時まで延長保育をお願いする。

夕方幼稚園からまっすぐ〇〇病院に主人とともにやってくる。

「かぁかは病気、点滴、ここでねんね」と一応説明する。

ここの病院は息子自身が入院していて看護婦さんも優しいので本人にとっては「好印象」の場所なのだ。

息子自身、点滴も経験しているのでなんとなく理解はしてくれたと思う。私に「ばいばい」をして家に帰った。だか家に帰ったら片時も主人の側を離れなかったらしく、トイレに行くのも大変だったらしい。

やはりかなり不安だったようだ。

 

2日目

病院にやってくる。はっきりいってここの病院は息子にとっては「遊び場」なので、押さえるほうが大変だ。特に変化はない。まだ状況が飲み込めていないのだろう。

 

その日の深夜、私が入院している病院に主人から電話。

「息子が喘息をおこしたので連絡してくれ」と看護婦さんが伝言してくる。慌てて私がPHSを取り出したら看護婦さんが「携帯電話は困る」という。

全身麻痺でどうやって連絡とれっていうのか?!

キレそうになったけど「子供が熱性けいれんをおこすかもしれないんです。見逃してくださいよ」と言ったら去っていった。

電話をしたら「今のところ熱はない、セキだけ」という。

息子を見ていないので判断ができないから、とにかく抗けいれん剤(座薬)を入れてせき止めを飲ませるように言った。

 

3日目~9日目

やはり朝になったら熱はでできたようだ。次の日かかりつけ医に連れていったら、かなり喉が赤く吸入をするように言われたらしい。

息子は最近とても力が強くなってきて、私では羽交い締めできなくなっていて吸入はしばらくしていなかった。だが主人の腕力からは逃げられなかったらしく、今回はおとなしく吸入したらしい。

熱は上がったり下がったりだったようだ。

全く食べ物を口にしないので、ばぁばが「ハンガーストライキしているみたいだ」と言っていたらしい。息子は具合が悪くなると食べ物を口にしなくなる犬みたいなヤツなので、その点はいつも通りだから心配はしなかった。

結局風邪は一週間続き主人の仕事はこの週全滅だったそうだ。

最初の週から出鼻をくじかれた。

 

この週は私の転院先の事では主人も病院に来なければならず、その間は家で私の両親に息子をみてもらうという事になった。

だが主人が出掛けるときに何とも哀しそうな目をするのだそうだ。

息子は特にじぃじの事は大好きで、いつもなら平気でばいばいするはずなのに。

やはりいつもとは状況が違うようだ。

 

私の入院が長期になる事が予想された時点で、息子をこれからどうしようという事になる。実家にずっと預けるという方法も考えたが、息子にとって、なるべくいつもと同じ生活のほうがいいのではないかと思い「平日は幼稚園に夕方までお預かり」で「週末は横浜の私の実家にお泊り」させるという事に決める。

 

幼稚園は大好きなので通わせないとそれこそストレスがたまって「睡眠障害」を引き起こす可能性がある。それだけは避けたかった。でも私には何故か今の息子なら乗り切れるという予測はあった。

かなり図太く成長してきている今ならどうにかやり過ごせるかもしれない。

逆にいい刺激になるかもしれないとさえ思った。

これは単なる母親のカンだったのだが。

 

主人のお仕事はいわゆる「技術屋さん」だ。納期があっていつもそれに向かって仕事をしている。とーっても小さな会社でいろいろと親身に考えてくれるので、お休みをする事に問題はないのだが、主人の仕事を代わりにできる人はいない。

という事はお休みすれば、その分後が大変という事なのだ。
・・そして私の長期入院は、主人の首はどんどん絞めていく事になるのだ。

 

詳しい事情は別の項目に書く予定だが

 

hii-1701.hatenablog.com

 

実はこの時私は来年度から息子を保育園に転園させたいという意向を持っていて、既に申し込みをしていたのだ。

でも入れるかどうかは難しい状態だったし、本当にそれでいいのかとも悩んでいた。

そんな折りに私はこの病気になったのだ。

母が入院していれば文句なく保育園には入園できる。

だから私には「神の啓示」に思えてしまったわけで。

私がこの病気になっても実に平静でいられたのは、多分このおかげだったのだと思う。

でも悩みすぎてギランバレーになったという風にも考えられるんだけどねぇ

 

ギランバレーは「ある遺伝子を持っている、風邪をひく、ビタミンが不足している、しかもとっても疲れている」などの条件が重なって起こるという説があるらしい。

しかもほとんどの人はその条件に当てはまっていても発症はしない、稀になるのだ。

何しろ10万人に1~2人の確率だからね。

 

10日目

 

初めて大学病院のほうに息子がやってきた。私の顔を見ながらご機嫌でイタズラしまくっていたのでちょっと怒ったら、一瞬だけ「ふにゃ」っとした泣き顔をした。

どうやら私が動けるかどうかを確かめていたらしく、イタズラしても側にきてくれないのがわかって哀しかったようだ。

1番のお気に入りはグロブリンの点滴をしている機械。

棒だし、上にはなんかスイッチがあって楽しそうに見えたらしい。

何度もそっちにいってみんなに怒られる。

そのうちみんな怒るのが面倒になってきたので、応接セットの椅子で要塞を作ってとおせんぼしてしまう。

応接セットも意外なところで役に立つものです。

・・・しかしどこにいっても息子は息子だな(笑)

主人はこの生活になってからTVでよく流れていた「明日があるさ」をよく口ずさむんでいたらしい・・辛かったのねぇ。

 

でも実は今年主人は男の大厄なのだ。その厄を私がしょったのだと思う。

だからちょっとくらい大変なのは「自業自得」なのだ!

私は自分の厄でもないのに痛い思いをしたのだから絶対に割があわないぞ!ふん!

 

11日目

 

今日から幼稚園に復帰。かなりイタズラが激しかったようだ。

注意されると怒ったり、思い通りにならない事があると泣いたりもしたらしい。

明らかに情緒不安定だったようだ。しかも珍しく幼稚園でお昼寝をしてしまい、当然その夜寝たのは丑三つ時だったらしい。

 

主人は私がいつも遊んでもらっているMさんの掲示板に頻繁に登場するようになる。
私は「しばらく行けないという事だけポスペしといて」と言ったのだが、何度も私の症状を書き込むようになって 、そこの掲示板の奥様たちに結構人気を博するようになっていくんだな(笑)

多分みんなが書いてくれるレスをプリントアウトして病院に持ってくる為に書き込んでくれてたと思う、最初は。

・・けどすぐに自分が面白くなって後半は書きたい放題だったみたい。

入院中に励ましのメッセーシをくれた皆様、本当にありがとねー!

(びいママさんとこからドージョくんもきてくれた)

本当に嬉しかったよん♪

 

ドージョくんエピソード

病院のごはんは、おかずの量が少ないし、味がいまいちだったりするので
ごはんが残りがちになってしまうのです。


辛いもの好きな私が「モモヤノ トウガラシノリガ タベタイ」と主人にメールしたら「それって海苔売り場にあるの?」とたわけた事を掲示板に書き込んで、みんなに「違う~!」と突っ込まれてたようです。

 

・・・でもさ、そしたらぴいままさんとこからドージョくんがやってきて
主人に教えてくれたのです。
このドーショくんというのは、掲示板のお友達のお子さんが大きな手術をした時に、ネットのお友達で作った童話の登場人物です。

絵はびいままさんのモノです。びいままさん、ありがとう! 

 

12日目~15日目

 

特に変わった事はなかったようなのだが、幼稚園で突然意味もなく泣き出す事が何度かあったらしい。家に帰ってきても動きが悪く、だらだらとしていることが多くいつもの息子とは違うという印象だったようだ。

私がいないという変化に脳がついていかないのかもしれない。

私がいないので1番困るのは「食事」だったと思う。幼稚園には週2日お弁当の日がある。でもそれはA先生が自分の分と一緒に作ってくれると言ってくれたのでお願いしたし、朝はパンなので買ってくればいい。やはり問題は夕食だったと思う。


実は主人の会社は自宅から近く、今までもごはんを食べに帰ってきていた。
だからお昼休みにおかずを買って家に帰ってお昼を食べ、お米をといでまた会社に行くという事をやっていたようだ。

「ひじきの煮物」「たこの酢の物」「ぜんまいの煮つけ」「ブリ大根」。こういったいわゆるおふくろの味が息子の大好物だ。でも今はおふくろの味もスーパーに売ってるから便利。どうやらそうやって乗り切ってきたようだ。

ちなみに「鳥のナンコツ」「れんこんとごほうの素揚げ」「もずく」なんて居酒屋メニューも大好き。

・・・・そしてカレーライスは食べない。どっかの頑固オヤジみたいだ(笑)

 

16~17日目

横浜にお泊りに行く。お泊り自体は私と何度もしていてずいぶん慣れているはずなのだが、実は親と離れて1人で泊まるのは生まれて初めてだ。

最初やはりかなり泣いたらしいが諦めのいいやつなのでどうにかお泊りできたらしい。

ただしやはり眠りが浅く何度か夜中起きたそうだ。
次の日主人が迎えに行くと、顔を見たとたん大泣きして、それから祖父母に向かって何度も深々と頭を下げて回ったらしい。

息子の行動を解説すると

「大変お世話になりました。ボクは父と帰らせていただきます」って事だと思う。

・・・大爆笑だったらしい。

 

18日目~19日目

 

息子が病院にやってくる。まだそんなに雰囲気が変わっている感じはない。私を見てニコッと笑う。そして私と反対の方向を見て突然「かあちゃんかあちゃん」と何度も言う。私が無理矢理息子の顔を覗き込んで「は~い、かあちゃんはここにいます」と言うと嬉しそうに笑った。

でもこのあたりから病院に行った日は、家に帰ると必ず不機嫌になって大泣きしたらしい。この状態は私が退院するまで続いたそうだ。

 

考えられる理由は、私が病院にいたから家にもいるのではないかと思うのか

病院で私に逢ったので家に帰ると私がいない家の風景が不自然なので泣いているのか。

・・・・ドラのみそ知る。(他の理由を思いつく方、お知らせ下さい)

 

幼稚園でもやはり機嫌が悪かったらしい。ちょっと担当の保母さんがいないと大泣きしたりしていたそうだ。このあたりで今置かれている自分の状況を把握できるようになったのかもしれない。私が帰ってこないという現実を。

・・・・20日かかるのかぁ?

 

20日目

この日は幼稚園の園外保育で水族館に連れていってもらったそうだ。

やはりこの日も朝も機嫌が悪かったようだが、水族館に着いた途端ゴキゲンが直ったそうだ。さっすが「新しい場所好き」。イルカショーを真剣に見ていたらしい。

イルカを見ていたのか水しぶきを見ていたのかは不明、多分後者だと思う。

 

21~22日目

 

この日あたりから少し安定してきたようだ。幼稚園ではいつもと変わらない感じだったそうだ。でも家ではやはり主人にべったりでとても寂しそうにしてたらしい。

そういえば私が入院した際にゆうゆう先生だけには事情を説明してあったのだか、病院がばれてしまうと面倒になるので「病院名はいわないでね」と主人に言ったのだ。

それが先生に伝わった時に何を間違えたのか「病名はいわないでね」になってしまったらしい。これが誤解の始まりで。
それで先生が口を閉ざして多くを語らなくなってしまったから「噂が噂を呼んで」なんかとんでもない重病になっているという事になってしまったらしい。

 

歩けるようになってあるお母さんに病院から電話したら「しゃべれるの?元気じゃん!やだー、もう脳梗塞とかで半身付随と思ったよ~」

・・・・おいおい、人を重病人にするなってば(あっ、重病人だったっけ?)

「いや気になってたんだけどさ、聞いちゃいけないような雰囲気だったのよ~」

実はここにはもうヒトツ誤解される要素があったのだ。

主人は「用件しか言わない男」で特に聞かれなきゃ答えないヤツだ

(口数が少なくて誤解を産みやすいタイプ)

だからお母さんたちに「聞かれたら答えた」のだろうけど、ほとんどの人が気をつかって話しかけてこなかったから「やっぱり大変な事になってるんだわ」とまた話が大きくなっていったらしい・・男って動物は困ったもんです。

 

23~24日目

 

2回目の1人でお泊り。今度はちょっと泣いたくらいだったそうだ。ただしお風呂に入れない。うちの実家は一軒家なので大きめのお風呂なのだ。赤ちゃんの時は平気で入っていたのに、最近何故かお風呂場を恐がるようになっていたのだ。多分薄暗いのが恐いのだと思うのだが。無理強いしてお泊り自体を拒否されると困るので、お風呂は入れなくていいと言っておく。


実家に行くと一生懸命コミュニケーションをとろうと頑張っていたようだ。

じぃじにかなり遠距離のお散歩にも連れていってもらったらしい。

その時の帰り「不二家」に連れて行ったらショーウィンドウにあったケーキ全部を指差していき、じぃじの顔を見てニコッとしたらしい。

・・・・はいはい、ウチは貧乏だからケーキも食べさせてませんよ~だ。

 

主人はこの週末Mさんの掲示板で

「オレは和製キムタクだ(自分はキムタクに似ていると言いたかったらしい)」などと、訳のわからない事を口走り 、みんなに「キムタクは最初から和製だよ~ん」とツッコミを入れられてたらしい・・・・だいぶ疲れがたまってるな