ギラン・バレー日記④入院25日目から退院まで
(2001.8.29記)
発症25~31日
入院中の血液採取は3~4日に1度くらいで行われる。前にも書いたが私の血管はとても採取しにくい。新人の看護婦さんに「婦長さ~ん」と泣き入れられた経験数回、担当が3人以上変わった事は数え切れない
輝かしい戦績を残してきた血管なのだ!(自慢してどうするんだ!)
その上体重が落ちていてこの時38キロ(普段は42~3キロ)くらいしかない。
はっきりいって最悪の状態だ。
なのにこの日から予告されていた注射(静脈)を毎日打つ事が決まった。
最初のうちは良かったのだか、毎日打っていると打つところがなくなってくるらしく、せっかく血管に入っても薬が入っていかないなんて事もあった(血管がへたるというのだそうだ)。ここで、一応補足しておくが決して先生たちの腕のせいではない。
しかし毎日そんな事をしていると、先生たちのキャラがよくわかってくる。担当医♀は顔だちは幼い印象で笑うとメチャかわいい♪のだか発言がとっーてもストレート。ある日血液採取をしにきたので寝たふりしてたら、「血とらないと、いつまでたっても注射おわらないよ~」とか言う。それが何故か冗談に聞こえないんだわ。
こっ、こわい。見た目とのギャップがありすぎるんだなこの先生。
一方担当医は♂・・一言で表現すると「とぼけている」ぶつぶつ言いながら「なんでこんなに取りにくいんだ」とか言う。「そんな事私に言われてもねぇ」
しかも、血液採取の時「股からとらせろ!」とか言う。普通言うかなぁ?
一応私女性なんですけどねぇ。
でも私も「また、マタですかぁ?」とか言ってるんだけどねぇ
・・あ゛゛~、入院してるとギャクまでなまってしまって哀しいものがある。
私の体調が良くなると主治医はほとんど顔をみせなくなり、担当医のどちらかが様子をみにくるようになる。このあたりから、食欲もでてきて「肉が食べたい」なんて気分にもなっていたのだが、嚥下が未だにあまり良くならず、普通食は食べられない状態だった。でも食べないと筋力もつかなしいリハビリの効果も薄れる。
そんな事を担当医♂に話していると「プロティン飲んだら?」という。そうだ、その手があったわ。早速主人に言って買ってきてもらう。それからチーズなんかも高タンパクだと思って頼む。
このあたりになるとかなり身体も動くようになってきていて、トイレに行く時に立ち上がるのもつかまってなら、スムーズになってきていた。看護婦さんたちも口々に「もうひとりで行けそうだよねぇ」と言う。
その時点ではまだ看護婦さんを呼んでトイレに行くようにという指示だったので、担当医♂に1人でトイレに行く許可を再三頼んでいたのだがなかなか出してくれなかったのだ。でもしばらくすると私がうるさかったのか、やっと許可が下りる。
担当医♀が診察をしにくる。私の心音を聞いて「心雑音が結構ひどいねぇ」という。
私は検診などにかかると必ず「心雑音、心拍の乱れ、不整脈」を指摘される。
でもいつも言われるだけで特に要検査になった事はなかった。
「調べたほうがいいよ」と言われ有無を言わせず心エコーの検査を入れられてしまった。だから頼んでないのにぃ・・。
発症32日~37日
担当医♀が「血液検査の結果、注射終了!」と言いにくる。2人で拍手~♪
バチバチバチ!
プロテインは最初毎日3回飲んだ。主人が買ってきてくれたのは、粉のタイプのヤツで粉ミルクのような甘いニオイがした。インスタントコーヒーを一緒に入れて牛乳などでまぜまぜしたのでどうにか飲めた。飲んだあときな粉のように口の中がザラザラっとしたのが残り気持ちが悪いのでそのあとにまた水分を摂る。
その後普通食に変更してもらう。食べられる自信はなかったのだが、以前よりはかなり良くなっている印象があったから。その結果どうにか食べられそうだった。それと同時にお箸を使ってみたらどうにか使える事が判明。
しかも小さいモノも結構つまめる。実は手は最初によくなった箇所なのだが「手の震え」だけが残っていて、上手に字を書く事ができないでいて、毎日少しずつ字を書くように言われていたのだ。だからお箸もリハビリしないと無理だと思っていたのだが。
要は単に「力が入らない状態」なのだろう。
お箸には力は必要ないから使えるという事である。
この週の体重測定で1キロ増えた、わ~い♪
プロテイン効果と普通食が効いたのだろう。
身体も徐々に良くなってきているが、やはりグロブリンを使用した時のように劇的な効果は薄れてきていた。そこで「ステロイド使用」という話が持ち上がる。担当医♂が説明にくる。使用すれば早く治る可能性があるという事。
使用しなくても徐々には良くなるので、時間が短縮されるという風な印象だった。
その時の会話。
ひいろ「あと1ヶ月の入院が半分になる?」
先生「何ともいえないけどやってみる価値はあると思う」
実は息子の状態を考えると今すぐにでも帰りたかったのでこの話は魅力的だったのだ。
でも小さい子供の母親なら「ステロイド」と聞くだけできっと身構えてしまうハズである。でも
先生「今回使用するのは「短期投与」だから。それにこの薬に関しては神経内科では使い慣れているから大丈夫。主な副作用は、まず胃をやられる。だからセットで必ず胃薬がでる。それと顔が膨らむ」
ひいろ「膨らむ?むくむんじゃなくって?」
先生「う~ん、ちょっと違う。それに肌がきれいになる」
ひいろ「へっ?ソレっておいしいじゃん!」
要は顔がバンバンになってつやつやしてくるらしい。う~ん、ちょっとこわいな。
その日は「主人と相談して決めます」と結論はださなかった。
発症38日目
この日は週に1度のシーツ交換の日だっだ。病院内はとても暑くて、私は毛布一枚だけしか使っていなかったのだが、どうもマニュアルがあるらしくいつもタオルケットをセットされてしまうのだ。
それに枕も自分のうちから持ってきてるのでいらない。この頃になると自分の食器を持って片づけたりしていたので、看護婦さんたちは忙しいから、ちょっとそこまで持っていこうと思ったのがいけなかったのだ。
タオルケットと枕を持って病室から出た途端、方向転換ができずにそのまま後ろに棒のようにぶっ倒れた!
まるでエノケンのように(萩本欽一でも可)・・カキーンという音がした。
高周波の除夜の鐘みたいな金属音だっだ。
(やはり私の身体はモビルスーツで出来てるのか?)
目が回るなんてもんじゃなくって、いろんなところにグルグル渦巻がみえる。
慌てて看護婦さんたちが飛んできて、みんなでそのまま私をベットまで運んでくれる。当然担当医♂がカッ飛んできた。診察の結果、特に今のところ問題はないようだとの事。絶対「ほうら、やった」と怒られると思ったが、帰り際「今度転んだら、また看護婦さんに監視させるからねぇ」と言って去っていく。
どこまでも「とぼけた」担当医である。
頭はしばらく回っていた。一応念の為に夕食は食べなかった。トイレに行った時吐きそうになったので。でも横になってチーズとか食べても大丈夫だった。
実は私の1番の問題は「ふとももに力が入らない」という事なのだが、ふとももに力がはいらなくても「歩く事は可能」だったりするのだ(発症した日もそうだった)。
でもそれはとても不安定な状態でいつ転んでもいい状態でもあるのだ。
担当医♂が最後まで1人で歩く許可を出し渋ったのはそうゆう理由だったのだろう。
私も頭ではちゃんと理解はしていたのだが、何しろ経験主義(経験した事しか信じない)なもので。
今回の件でお医者様の言うことはやはり聞かなければいけないと反省した。
夕方担当医♀も様子を見にやってくる。
「気をつけてねぇ。怪我でもしたら大変だからねぇ」
病院内で怪我などをすると、とっても厄介な事になるらしい。本人の不注意で転んでも病院には責任があるのだそうだ。例えば患者がちょっと転んでも(以前にも数回やっていた、実は前科者だったのだ)看護婦さんはレポートを提出しなくてはならないのだそうで、要は仕事を増やしてしまうのだ。はいごめんなさい。深~く反省いたします。
でもすぐ忘れるんだな。だってバカは死ななきゃ治らないんだも~ん♪
発症39~47日目
家族会議の結果(って主人と話しただけ)ステロイトを始める事にした。
そういえば担当医♂が説明してくれた際に錠剤はすっごい苦いよって脅かされた。
それが嫌なら注射もあるよと言うから「また先生たち血管見ながら悩むからそれはやめよう」と進言する。
でも飲んだら我慢できる程度だった。単に脅かされただけだった。
お風呂もひとりでどうにか入れるようになった。椅子に座って洋服の着脱もできるし
頭も身体も洗える。ただし力はまだまだなので上手には洗えないが。
それに足の裏が洗えない(笑)
でも病院のお風呂は手すりがたくさんついているし呼び出しもついてるので安心だ。
この週主人が主治医に逢いにやってくる。主人はいつも息子を連れて週末に来るので
、実はここまで先生たちと一度も面識がなかったのだ。
今までの経過報告をしてもらったようだ。
(私はリハビリに行ってたのでここにはいなかった)
例の脊髄のMRI写真も見せてもらったそうで「あれは角じゃないぞ、どう見ても耳だ」とか訳のわからない事を言ってる。ロールシャッハテストじゃないんだからどうみえるかという問題じゃないんですけど(笑)
退院は1ヶ月後という話だったらしい。
それではちょっと間に合わない、どうしようと話していると担当医♂がやってきて「階段登ってみようか?」という。それで主人と一緒に階段に行って登ってみる。
リハビリから帰ったばかりだったので、ちょっとその日は自信がなく、4~5段登ってやめる。「コレが登れないとウチには帰れないぞ~」という事なのだが
「先生、いつ退院させてくれる?」と切り出す。
「とにかく来週にでも外出許可出すから。一度帰って生活出来るかやってみて」という事になる。
ステロイドを飲みだしてしばらくすると左の目が痛くなる。どうやらまぶたが降りてきてまつげが当たって痛いようだ。またしばらくすると、おでこのしわがうっすらでできた。最初は顔に効果がでてきたようだ。
身体のほうも明らかに以前よりも軽くなってきて、リハビリの時につけるおもりも1ランクずつ上がった。
効果はあったのだと思う。ただ生理がとまってしまっていた。薬のせいで遅れたり止まったりするのだそうだ。夕方担当医♂がやってきて「階段のぼるぞ~」と言う。この日はどうにか自力で登り降りする事ができた。
ただし降りるのはかなり恐いが・・帰り際「この扉あけられる?」という。結構重たい扉だったが一応開ける事ができた。
「社会に戻るとこうゆう風に至るところにトラップがあるんだよ~」と言う。
ギラン・バレーの患者はどうしても身体中の力が入らなくなるので、出来ると思っていると痛い目に合うのだ。
あっ、もう痛い目にあってるか(笑)
実はこの時以前転んでからしばらく経っているのだけれど、まだ頭のふらつきがある事を話す。そしたらその日の夜、突然主治医と担当医2人が揃い踏みでやってきた。
医者が3人一緒で来ると結構威圧感があるからやめてほしい。どこぞの水戸黄門かと思った。担当医♂が頭のふらつきの事を心配して主治医に話したようだ。
それで主治医の診察の結果「軽いむちうち状態」だという事。
次の日PTにその事を話したら「いじらないでそのまま放っておいたほうがいいですよ」という話だった。
発症48日目
昼ごろ待ちに待っていた「お客様が」がいらっしゃる。結局2週間近く遅れたと思う。それからリハビリに行っていつも通りにメニューをやっていたら、突然頭がくらくらっとする。「変だな~」と思っていたら、今度は胃がムカムカして気持ちが悪い。
こんな日に限ってリハビリ後にMRI・CTが入ってたりする。
担当のPTに事情を説明して少し早く上がって検査に行く事にする。
検査室のほうでも事情を説明して早めに検査をしてもらう。
だってMRIの中で吐いたりしたらシャレにもなんないもん。
どうにか無事に検査を終えて病室に帰ってきた。
夕方担当医♀が現われたので「先生~、きもちわる~」と事情を説明。
「う~ん、貧血じゃない?」
なんですと!「ヒ・ン・ケ・ツ?」・・実はこの歳にして初体験だ!
自慢じゃないが今まで貧血で倒れた事がなど1回もない。
確かに1度倒れてみたいという憧れがあったが、まさか○○歳でなるとは。
う~ん、これで私も深窓の令嬢の仲間入りかしら?
「気持ち悪いのは薬の副作用だと思う」と言って、もちろんその場で胃薬追加されましたわ。
私は体調の悪い時に胃酸過多の傾向になるのだ。多分そのせいだろう。
生理が始まったせいで身体のバランスが崩れていろんな症状が一気にでてしまったのだろう。しかし「もうダメですぅ」って感じで、突然全部の症状が1度にででくるなんて、やっぱ私の身体の反応はちょっと変わっている。
実は風邪をひく時も大抵そんな感じ。
発症49日目
昨日と変わらず朝から気持ちが悪い。ペットの頭を上げているとまだいいので、横にならずに1日を過ごす。この日はさすがの私もリハビリを休む。
担当医♂が来て「貧血?鉄剤だす?」というので「いらん!」という。
担当医♀が「血液検査すれば貧血かどうかわかるんだけど」
「血が足りないって言っているのに、血液採取するかなぁ?」と言い放つ。
・・・はい、全くお医者さまの言う事など聞きゃあしません。全然懲りてない(笑)
だって人間今まで培ってきた性格、そんなにすくには変えられませんわ。
しかし困ったのは、実は次の日外泊予定の日だったのだ。
私は車に酔いやすい体質で今のままではちょっと帰る自信がない。
すると担当医♂が「酔い止めだす?」
・・・・う~ん、本当はどっちが懲りてないんだろう(笑)
とにかく1日様子をみて明日体調が良かったら帰る事にした。
その日主人が来る予定だったので、鉄の補助食品を買ってきてもらい、それをバリバリ食べる。ああっ、本当はレバニラが食べたかった。病院でなんで出ないんだろ?
発症50~51日
昨日よりは体調がいいようだ、どうにか帰れそうなので主人に予定通りという連絡をして午後車で迎えにきてもらう。出掛ける前に看護婦さんが明日の分のステロイドを持ってきて「絶対忘れずに飲んでねぇ」という。
実はステロイドは飲みはじめたら急にやめるのはとても危険なのだ。量を徐々に減らしていかないとリバウンドして症状が悪化する事があるらしい。だから長期服用している人にとっては「なかなかやめられない薬」になるそうだ(これは主人情報)。
何度も確認して持ち帰る。
ここに入院した時は全く身体が動かず車から出るのも大変だった。
そのイメージがあって車に乗れるのかと不安だったのでわざわざ車椅子を借りて車まで行ったのだかあまりにもヒョイと乗れたのでびっくりした。身体がまた軽くなっているようだ。マンションに入る階段も全く問題なく登れて無事我が家に帰ってこれた。
ところで我が家は至るところに「自閉症児対策システム」が施されていて通称「要塞屋敷」と呼ばれている。要は狭いマンションのありとあらゆるところにカギ付きの柵があり、棚の上に登れないようにネズミ落としまであったりする。
・・という事はつかまる所もたくさんあるのでこれなら大丈夫と安心する。
コレが広い家だったら結構大変だったと思う。
貧乏人でよかったわ。
パソコンも打てるし(シフトキーがちょっと大変だけど)包丁もどうにか使えそうだ。もちろん病気以前のスピードでは出来ないが、ゆっくりやれば大丈夫。大きな芽のでた2ヶ月前のじゃがいもの皮をむき千切り、みじん切りにしてみた。
ちょっと大きめだが元からそんな料理上手ではないので気にしない事にする。
決して手抜きではないぞ!
トイレは問題なし。床から立ち上がるのもコタツを利用して立ち上がれた。
でも今使っているお風呂用の椅子は小さくて、これでは自力で立ち上がれない。
今病院で使っているのに近い高さのあるモノを買う事にする。
あと台所で仕事をする時に休憩するのに椅子が必要という事になり、これも購入する事にした。
生活は全く問題なしでできそうだ。私自身の不安もコレで消えた。
髪の毛を主人に肩のあたりで切ってもらった。美容院に行きたかったのだが面倒だったので。もちろんすっごい変っ!
ところで帰ってきて何を1番食べたくなったか?というと「カップラーメン」なんだなっ!身体に悪いし塩分もたっくさんある「あの悪の味」う~ん、幸せ♪
主人が「ステロイド飲んでる時は塩分控えめって書いてあったぞ」って言う。
「ふ~ん、でも食べちゃいけないって言われてないも~ん♪」次の日病院に戻る。
発症52~56日目
担当医♂が「どうだった?」とやってくる。
「問題ないです」「よおし、退院日決めよう!」
入院して56日目に検査が入ってるから、それ以降ならいいというので56日目に決める。ただし、主治医の許可がおりたらという話。
だかそっちもあっさり許可がでた。通常ではこんなに急いで退院はしないのだが(本当はまだ検査も残ってたようだ)無理を言って退院させてもらった。
退院時の身体の状態
歩行はゆっくりであればできる。ただしふとももが未だに弱いので、ガクッと転ぶ可能性がある。階段も手すりがあれば腕の力を使って登り降りできる。立ったままの状態も15分くらいは保持できる。
足は座った状態で前に少し上がるくらい。しゃがめないので落としたモノは拾えない。まるで女王様です。
手は上がるので台所の上のモノも取れる。でも帰ってきてやかんに満タンに水を汲んだら運べなかった。
指の震えもかなりあって中身の入ったコーヒーカップは持てない。字も上手に書けない。顔面麻痺はしわも戻ってきていてかなり良くなっているが、左目がまだ明らかに残っていて左だけの瞬きはできない。
下唇と舌はしゃべるのには不自由はしないが痺れは確実に残っている。
そういえば私の麻痺は左優位だったのだが、舌だけは右が痺れているんだな。
不思議だ。
呼吸器が良くなっていないようで少し無理をすると息があがってしまい、歌をずっと唄っていると胸が痛くなる。