私という人間を作った三人の先生

私は、1960年に横浜で生まれました。

学校は高校までは公立オンリーでしたが、成績は中の下くらいでした。偏差値があまり高くなかったですが公立の高校に受かったのは、今はもうないアチーブメントテストの成績が良かったからだと思います。昔は、内申、入試、アチーブメントテスト。この3つで評価されていたので。

 

最近感じるのですが。私が通っていた頃の公立の先生方は、個性的な人が多く、私自身、その先生方の影響を受けて今があるのだなと実感する事が多くなっています。

なので、先生たちの事を書きとめておこうと思います。

 

まず小4の時の担任だった先生。

この先生は、教室に入る時、必ず一礼をして入る先生でした。ですが、それを生徒対して強要する事はありませんでした。先生は大学で「心理学」を勉強していたそうです。

小学生に「しんりがく」など理解できる訳もなかったのですが、事あるごとに

「人は自分が思っていない行動をする事がある」とか「人の行動には癖がある」という不思議な話をよくしていました。

あれは確か授業参観の時、私が指されて答えた後、次に誰か指名してくださいと言われたのですが、その時ほぼクラス全員が挙手をしたので、私は誰を指名していいのか

困ってしまって。その時「右利きだったら、ななめ右に指す癖がある」と言って、ななめ右の人を先生が指名するようにと言ったんですね(笑)

声を荒げた事など一度もなく、いつも丁寧に語りかけるように話をされる。だからその頃の私は「なんか心理学って面白そう」って思っていました。

本当に不思議な先生でしたが、私はとても大好きでした。

 

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中1の時の担任は、学校の名物教師でした。保護者からの人気も高く、母親はこの先生が担任だった事を「当たりくじひいた」と言っていました(笑)

・・・こういうところは、今でも全く変わらないですね。

専門は社会。特に優しい口調の先生ではなく、どちらかというと厳しい雰囲気の先生でしたが、授業はわかりやすく、生徒からも人気が高かったように思います。

 

この先生を何故印象深く覚えているかというと、ある日突然通常の授業をやめ、先生が自分の実体験として話された話が、とても印象に残っているのです。

先生が若い頃、どこかの会合に参加した時、外国人がいたそうです。先生はそれまで外国人を一度も見た事がなかったので、どうしたらいいのかわからず、とても緊張したのだそうです。するとその人が自分のほうにやってきて、にこやかに握手を求められた。なので仕方なく握手をしたそうです。

ですが、その後、先生は無意識に自分の手を見てしまったのだそうです。その外国人は黒人の方だったそうで。自分の手が黒くなっていないかと、思わず見てしまい・・・そしてその自分の差別的な行動に愕然としたそうです。

相手がどういう人かわからないという状況は、お互いにとって恐怖を感じるのだと。

相手の事を理解しようとする気持ちが最初にあれば、わかりあえる事も多いのだと。
そして人を外見だけで選別するのは、恥ずかしい行動なのだというキッバリと言っておられました。

この授業自体、唐突に予定の授業を中止して行ったので、もしかすると、クラスで何かトラブルがあったのかもしれません。

 

実はこの先生、何故名物先生だったのかというと、他の学校に転勤できない理由があってずっと同じ学校に勤めていたらしく。で、転勤できない理由が「くみあいいん」だからという事でした。子供の頃は、くみあいって何?と思っていたのですが、今にして思えば、日教組に所属していた先生だったのだろうと。そう考えると合点がいく話です。

 

この先生、家庭訪問て来られた時、私が寝っころがって本を読んでいたのを母が
「女の子なのに、お行儀が悪くて困ります」と言ったら、「寝っころがっても、本をたくさん読む事は良い事です。本は全ての勉強の要ですから。自分は姿勢を正して本を読むように育てられたので、ゆったりと本を読む事ができなくて困っています」と言ってくださった。

いつも生徒の肩をもってくれる、優しい先生でした。

 

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高校に入学すると、選択授業というものかあり、自分の好きな科目を選択するのですが。先輩に日本史の先生は名物先生だから、絶対とったほうがいいと強く勧められ
元々歴史好きなので選択する事にしました。

授業が始まると、自分でテーマを決めて、それに関して自分で調べて、先生とディスカッションしたりするという、大学のような授業内容で、少々面食らってしまって。
で、私が決めたテーマは宗教でした。以前から、日本人は神社に行っては拍手して
お寺に行っては、なんまいだぶという言うのが、不思議で仕方がなかったので(笑)
結局、在学時の私は情報収集力が弱かったので、そんなに深堀りはできなかったのですが。あの時ネットがあったらなぁと思ってしまいますが・・・

 

通常は、そうやって個々に調べものをしたり、先生とディスカッションする時間だったりするのですが、たまに先生の授業がありました。この授業が凄かった。

北方領土は、どこの国のものなのか?とか・・
アメリカが原爆を落とした時の映像があるとか・・・
アメリカは、原爆を落とした事を正義だと信じてるとか・・・

40年前の公立の高校の授業です(笑)

「事実はひとつでも、歴史はひとつではない。

立場が変われば歴史は全く違うものとして存在する」

歴史は、誰が正しいとか、誰が間違ってるいるとか、そういう次元の話ではないと。

そして歴史は繰り返す。だから歴史を勉強するのは、未来を予測する事だと。

 

高校生の時、この視点をもてた事は、今でもラッキーだったと思っています。

 

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この三人の先生以外にも、個性的な先生はたくさんおられました。

昔の先生方は、結束力も固く、自分が担任してない生徒の事もよく理解していたように思います。

まあ、大嫌いな先生も当然いましたけどね。
脱脂粉乳飲まないと、昼休みに遊ばせてくれなかった先生とか(怨)

 

私の母は、本を読むのも嫌がるようなお勉強嫌いでしたし、父も高卒でしたから

家庭内で勉強を教わったという記憶はありません。勉強は全て学校で教わっただけ。
それでも、社会人としてひとり暮らしをして働いていく程度の能力を持てたのは、やはり学校のおかげだと思います。

そして、生まれた子どもが障害児だった事を、わりとすんなりと受け入れられた事も、きっとこの個性的な先生方の教育を受けてきたおかげもあったのかな?と、感じています。

 

教育は重要です。どんな家庭環境に生まれた子も、平等に教育を受ける事ができていれば、様々な事が解決できる。私は、そう信じています。